今回は、育児漫画家、イラストレーター、育児番組でもおなじみの高野優さんがご登場。3人の娘の育児を、飾らず体当たりでユーモアと愛を忘れず描き、子育て世代からの支持を集める高野さん。育児漫画を描き始めたのは「妊娠って面白い!」という発見からだそう。幼少期のこと、絵本との再会、ご主人が亡くなられた後に描いた初の絵本などたっぷりとお話いただきました。4週連続でお届けします。
北海道出身。イラストレーター、漫画家、エッセイスト。『高野優のコドモ☆スクランブル JUMP!』(講談社)、『みつばのクローバー』(主婦の友社)、『思春期ブギ』(ジャパンマシニスト社)など育児漫画、エッセイの著作は約40冊。Eテレ育児番組の司会を3年間務めたほか、講演会で全国を巡る。絵本作品に『よっつめの約束』。大1、高2、中1の3姉妹の母。※学年は2015年8月現在(プロフィール写真撮影・刑部友康)。
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私は今でこそ、こうやってお話をさせていただいていますけれど、小さい頃言葉が出なかったんです。家では出るんですけれど、幼稚園など外では出ない。大人になってから「場面緘黙(かんもく)症」という言葉を知りますが、当時は極度の人見知りだと思われていたんです。みんながお遊戯しているのに中に入れず、土管の中でカタツムリを採ったり…。そういう子どもでした。
ある時幼稚園で、節分の為に鬼の絵を描くことがあったんです。絵は家でもずっと描いていたんで描けたんですよね。みんなは、鬼がウインクしていたりしてかわいい絵を描く中、私だけはリアルな怖い絵を描いたんです。そうしたら先生が「すごくうまい」とおっしゃって、鬼の面を持って一緒に教室を回ってくれたんです。するとみんなが「怖い!」と言って泣くんですよ。職員室も回って、最後には掲示板に貼ってくれました。
それは決して私の絵が特別上手というわけではなくて、いつも目立たない私に自信をつけさせてくれたのかなって思います。これをきっかけに、幼稚園の中でも少しずつしゃべれるようになりました。小学校でも、絵で救われるんですよね。ここでも担任の先生が「絵が上手だ」というところをすくい取って下さって、文集の表紙や学級新聞の絵を描かせてくれた。先生方に出会ってなかったら、イラストの仕事には進まなかったなと思います。
ミーテでは、スペシャルインタビューの他にも、子育てに絵本を取り入れている先輩ママ・パパのお声もたくさんご紹介していますので、ぜひ参考にしてみてくださいね。
高野優さんのインタビューはまだまだ続きます。
両親は6歳上の姉を溺愛していたんですね。スポーツもできる勉強もできる、社交性もある。一方私は、外でしゃべれないし、勉強も苦手、スポーツなんてもっと苦手。比べられて比べられて育ったんです。一方外に出ると、絵が上手だと褒めてもらえる。おかげさまで友だちにも学校の先生にも恵まれて、自分にとっては外の世界こそが本当の世界だと感じていました。
家に帰るのが嫌で、友だちと遊んだあとは図書館に寄っていました。図書館は、夢の国みたいでした。好きな本や漫画もあるし、そこで過ごすのが大好きでした。「いつもひとりで来ている小学生がいる」と思われたんでしょうね、司書の方が「貼り絵大会をやるから出してみない?」って声をかけてくださったんです。夢中になってつくると、また「上手だ」と褒めてくださる。本当にいろんなところで、いろんな方が、目をかけ、声をかけてくれた。
高校になって進路を考えた時に、イラストの仕事に就きたいなと思ったんです。そんな時頭に思い浮かんだのは、幼稚園の先生や学校の先生、司書の方が言ってくださった言葉でした。きっとそれが自分のお守りになって、そこだけ揺るがない、不思議な自信になったんだと思います。今でもイラストの仕事をいただくたびに、パアッと先生方の顔が浮かぶんですよ。
高野優さんのインタビューはまだまだ続きます。