絵本作家さんや絵本の専門家の方々に、絵本についての思いやこだわりを語っていただく「ミーテカフェインタビュー」。今回は、デビュー作『したのどうぶつえん』で日本絵本賞を受賞された、あきびんごさんにご登場いただきます。芸術家であり、幼児教育の研究家という顔も持っているあきびんごさん。還暦で絵本作家デビューするまでのいきさつや、絵本と子育てについて思うことなど、熱く語っていただきました。
今回は【前編】をお届けします。(【後編】はこちら→)
1948年、広島県尾道市生まれ。東京芸術大学日本画卒。幼児教育の研究家として、さまざまな教材・教具・文具を開発。絵画や染付などの個展活動や、絵画教室も行っている。2008年、デビュー作『したのどうぶつえん』(くもん出版)で第14回日本絵本賞受賞。そのほかの絵本に『したのすいぞくかん』『あいうえおん』(いずれもくもん出版)がある。また、教育書に村上潔の名で『北風ママと太陽ママ』『太陽ママになろう!』(PHP研究所)がある。
僕が絵の道に進んだのは、絵が好きだからではないんです。中学のとき、教科書で初めてわけのわからないことと出会って、それが、ピカソとモンドリアンの作品でした。教科書に出るくらいだからすばらしいものなんだろうけど、全然そうは思えなくて、教科書に出てくるものを理解できないようでは、落ちこぼれてしまう!と危機感を感じたんです。
それで、「どうしたらピカソのよさがわかるのか」と、絵の研究を始めました。絵を描くのが好きだからではなく、絵画性や芸術性がわかるようになりたくて始めたんです。やがてそういうことが少しずつわかるようになってきて、描けるようにもなってきました。
絵のよさがわかるようになるってことは、僕にとっては大きな喜びでしたから、一人でも多くの人たちに、この喜びを感じてもらいたいと、今度は「どうすれば、みんなにもわかるようになるのか」と研究するようになって、美術館めぐりや絵画教室をしてきました。ほとんどの人は、僕と同じように育っていますから、僕がわかってきた道と同じことを練習すれば、誰でもわかってくるんです。絵は描けなくてもいい、わかる喜びだけで十分。
▲りんごりら・れいぞうこぞう・かばなな・ぱんつぱんだ…だじゃれどうぶつが続々登場!『したのどうぶつえん』(くもん出版)
還暦って、引退する時期なんだと思ってたんですよ。そうしたらある人から、還暦というのは「赤ちゃんに還る」、つまり生まれ変わるってことなんだよと教えられまして。じゃあ何か新しいことをして、生まれ変わらないとソンする!と思いました。
そんなとき、尊敬する絵描きさんの野見山暁治先生のアトリエに行くと、先生は絵本をやっていらして、「君は絵本はやらないの?」と言われまして、決まりました。
こんな縁で初めてつくった絵本が『したのどうぶつえん』。学生時代、通学のときに、今はもう使われてない駅なんだけど、京成電鉄の博物館動物園駅を使っていたんです。その駅で降りて、階段を上がっていくと「うえのどうぶつえん」がある。それなら、下に行けば「したのどうぶつえん」があってもいいんじゃないの? いつか本に書きたい、と思っていました。まじめな上野の世界だけでなく、おかしな下野の世界もあるんだよと。
『したのどうぶつえん』には、おかしなどうぶつがたくさん出てくるし、その次につくった『したのすいぞくかん』には、「まんざいさんま」のような回文どうぶつもたくさんでてきます。子どもたちには、そういう言葉遊びができる子どもに育ってほしいものです。
▲『あいうえおん』(くもん出版)の原画の一部。あきびんごさんはこの作品で初めてミシンに挑戦されたとか。
あいうえおは、子どもにとって、はじめての勉強みたいなもの。この、はじめての勉強のイメージが、生涯つきまとうんです。とにかく、嫌いにさせないこと、苦手にさせないこと。できれば、好きにさせること。できるだけ、勉強でなくゲームのイメージを身につけること。
学校のやり方は、まじめ式、上野式。僕のやり方は、おもしろ式、下野式。好きになると何度も繰り返すから、どんどん覚える。反復すればその分、自由自在になる。小さいうちから「あいうえお」が自由自在になれば、学校ぎらいにはならないんじゃないかな。人間って練習の動物だから、練習したらうまくなる、うまくなると楽しい――こういうセンスを子どものときに、「あいうえお」で身につけてもらいたいなと思っています。
僕が伝えたいのは、まじめ式とおもしろ式の違い。僕自身、まじめ式だと10もやれない勉強や仕事が、おもしろ式だと100ぐらいできます。勉強だと10もやれない子どもでも、ゲームなら100ぐらいできるでしょう。
……あきびんごさんのインタビューは後編へとまだまだ続きます。(【後編】はこちら→)