絵本作家さんや絵本の専門家の方々に、絵本についての思いやこだわりを語っていただく「ミーテカフェインタビュー」。今回ご登場いただくのは、『ねないこだれだ』などのロングセラー絵本を生み出してきた絵本作家・せなけいこさんです。せなさんのあたたかみのある貼り絵の世界は、どのようにして生まれたのでしょうか。絵を描くのが大好きだった少女時代や、デビュー作『にんじん』誕生エピソード、絵本づくりにおけるこだわりなどを語っていただきました。
今回は【前編】をお届けします。 (【後編】はこちら→)
東京生まれ。お茶の水女子大付属高卒。武井武雄氏に師事。1970年、「いやだいやだの絵本」(全4冊・福音館書店)でサンケイ児童出版文化賞受賞。主な作品に「あーん あんの絵本」(全4冊・福音館書店)、「おおきくなりたい」(全4冊・偕成社)、「めがねうさぎ」シリーズ(ポプラ社)、「おばけえほん」シリーズ(童心社)、『となりのたぬき』(すずき出版)などがある。絵本のほかに紙芝居、装丁、挿絵など、幅広い分野で活躍中。児童出版美術家連盟会員。
絵本作家になろうと決めたのは、武井武雄先生の『おもちゃ箱』という絵本がきっかけです。まだ1歳くらいの頃に買ってもらったのですが、モダンな絵がとても素敵で、気に入っていたんですね。
そういう絵本を見ていると、自分でも描きたくなるでしょう。だから私は小さい頃から絵を描くのが大好きでした。母親から練習しろ練習しろと言われてやっていたピアノはいやになってやめてしまったけれど、絵については描け描けと言われなかったので、好きになっていったんです。なんでも強制されるといやになるものですよね。ピアノもやれやれと言われていなければ、今頃私はピアニストになっていたかもしれません(笑)
17歳の頃には絵本作家になろうと決めていたので、美大を受けたかったんですが、母に反対されました。それで私は「それなら一銭もいらないから」と言って、好きな道に進むことにしたんです。
弟子入りするなら武井先生と決めていました。武井先生のところに行って最初に聞かれたのが、「君は趣味でやるのか仕事でやるのか」ということ。迷わず「一生の仕事と思っています」と答えました。先生のお弟子さんは私よりもずっと年上の方たちばかりで、明治生まれが8人、大正生まれが1人。私だけ世代が違ったので、「こんなお嬢さんが入ったんですか」なんて言われましたね。
武井先生のところに出入りするようになっても、しばらくはなかなか仕事がこなくて大変でした。でも親の反対を押し切った手前、意地もあるから自分で稼がないといけない。だから、銀行員やコピーライターとして働きながら絵の勉強をしていたんですよ。
▲1975年に出版された「めがねうさぎ」シリーズ第一作『めがねうさぎ』(ポプラ社)
武井先生からは私の絵について、構図が悪いとか、デッサンがよくないとか、いろいろと厳しいことも言われましたが、たくさんのことを学ばせてもらいました。特に覚えているのは、「サインなしでもその人だとわかる絵を描きなさい」ということ。どこかで見たことのあるような絵ではだめなんです。
でも、やっぱりどうしても武井先生の絵に影響されてしまうんですね。私の描いている絵を見た仲間から「なんだい、武井さんの真似じゃないか」と言われたこともありました。けれどしばらくして、福音館書店の松居直さんに言われたんです。「どんなに努力しても武井先生の絵はあなたには描けません。でも、あなたの絵を武井先生は描けないんですよ」って。下手でもいいから、自分だけの絵を描けということですよね。
だから絵本づくりで一番こだわっているのは「独創性」です。新しい作家さんの絵本を見ると、どうもきれいにまとまってしまっていて、いまいち個性が足らないように思うんですけどね。絵本は一度描くと、出版社さんががんばって売ってくださるので、30年経っても書店に並んだりしますから、それを考えると、一作一作手を抜かずにつくっていかなければと感じています。
▲せなけいこさんのデビュー作『にんじん』(福音館書店)
デビュー作『にんじん』はもともと、息子のために描いた絵本だったんです。ブルーナさんの「うさこちゃん」シリーズを買ってやったら、息子がとっても喜んだんですね。それで、「もっとほしい」とねだられたんですが、当時は4冊しか出ていなかったんですよ。それなら自分でつくってやろうと。そのときは、まさか本になって出版されるとは思ってもいませんでした。絵本の世界は厳しいと知っていましたから、売れるはずがないと思っていたんです。
それがあるとき、福音館書店の編集の方と「『うさこちゃん』シリーズはよかった」なんて話をしていて、「私も息子のためにつくってみたんですよ」と話したら、興味を持ってくださって。それで出版されることになったんです。本当に運がよかったんでしょうね。上手下手と売れる売れないは別ですから。私は恵まれていたんだと思います。
▲1974年に出版された「おばけえほん」シリーズの第一作『ばけものづかい』(童心社)
子育ての経験は、私の絵本づくりのヒントになっていましたね。自分の子どもが興味を持たないものを描いたってしょうがないですから。私の絵本の一番最初の読者は息子でした。
おばけの絵本をつくったのも、息子が当時「ゲゲゲの鬼太郎」をテレビで見て熱中していたからなんですよ。そんなに妖怪が好きなら、おばけを描いてみようかなって。それで、せっせとカルチャーセンターに通って、民俗学の勉強をしました。
でも、民俗学の先生から伺ったり本を読んだりして知ったストーリーを、そのまま絵本にしてもつまらないでしょう。絵本にするには、根本的にストーリーから自分だけのものをつくらないといけないんです。よく後輩に言うんですけれど、絵本をつくるにはまず、勉強したり調べたりして、材料を集めるんです。材料がそろったら、その材料を煮出してスープにします。そのスープのうわずみを使って絵本をつくるわけです。手に入れた材料をそのまま出したって、つまらないんですよ。煮出して煮出して、良質のスープをつくらないと。
材料をそろえてスープをつくりあげるのは、苦しいけど楽しいですね。好きでやっていることですから。商売のことだけ考えたら、もっと効率よく売れそうな絵本を描いた方がいいのかもしれませんけど、私は好きでやっていますから、効率が悪くてもいいスープができるまで、とことん時間をかけてつくっています。
……せなけいこさんのインタビューは後編へとまだまだ続きます。(【後編】はこちら→)