絵本作家さんや絵本の専門家の方々に、絵本についての思いやこだわりを語っていただく「ミーテカフェインタビュー」。今回は、『めっきらもっきらどおんどん』や「おれたち、ともだち!」シリーズなどの人気作でおなじみ、スロヴァキア在住の絵本作家・降矢ななさんにご登場いただきます。一時帰国の際にお時間をいただき、デビュー作の貴重な思い出や、スロヴァキア留学のきっかけ、『ともだちや』のキツネの奇抜な格好についてなど、たっぷり伺ってきました。
今回は【前編】をお届けします。(【後編】はこちら→)
1961年、東京都生まれ。ブラチスラヴァ美術大学にてドゥシャン・カーライ教授に師事。石版画を学ぶ。主な作品に『めっきらもっきらどおんどん』『きょだいなきょだいな』(いずれも文・長谷川摂子)、『まゆとおに』ほか「やまんばのむすめ まゆのおはなし」シリーズ(文・富安陽子)、『ちょろりんのすてきなセーター』(以上、福音館書店)、『ともだちや』ほか「おれたち、ともだち!」シリーズ(偕成社)、『いそっぷのおはなし』(再話・木坂涼、グランまま社)などがある。スロヴァキア共和国在住。
▲降矢ななさんが子どもの頃、庭でよくつかまえたというトカゲを主人公にした自作絵本『ちょろりんの すてきなセーター』(福音館書店)
私の母は画家で、叔母は福音館書店の編集者だったので、小さい頃から絵や絵本に囲まれて育ちました。「こどものとも」や「キンダーブック」など、たくさん読んだ記憶があります。
幼稚園の頃には、小さな手帳に絵を描いて、お気に入りのキツネのぬいぐるみなどを主人公にしたお話をよくつくっていました。日常の延長線のようなお話よりも、冒険ものが好きでしたね。兄と一緒に男の子向けのテレビ番組を見ていたので、その影響もあったのかもしれません。
今、私はスロヴァキア共和国で、画家の夫と14歳の娘とともに暮らしています。スロヴァキアでは、早くコンピューターを扱えるようになってほしい、コンピューターで英語の映画を見せて勉強させたい、といった理由で、わりと小さいうちから子どもにコンピューターを使わせる親が多いんですね。それで、夫も早くから娘にコンピューターを与えたがったんですけど、私はちょっと待って!と抵抗したんです。それより前に、絵本や本に親しんでほしいという思いがあったからです。
娘との絵本の思い出で印象に残っているのは、2歳くらいのときによく読んだ赤ちゃん絵本です。当時は日本の絵本を読んであげていたんですが、意外なところで反応したりして、見ていておもしろかったですね。周りには本を全然読まない子も結構いるんですが、娘は今も本が好きでよく読んでいます。もちろん今はコンピューターも使っていますけどね。小さい頃に意識的に絵本や本に囲まれた生活を心がけて、よかったなと思っています。
私の初めての絵本は、長谷川摂子さんとの『めっきらもっきらどおんどん』。「おもしろいテキストがあるんですが」と、編集の方からお話をいただいて飛びつきました。今から30年ほど前のことです。
このお話には3人のおばけが出てくるんですが、実は最初、手足が長くて縄跳びをするおばけは「もんもんびゃっこ」ではなくて「ぎっことんこ」という名前だったんですね。
文章の雰囲気から日本の民話風なイメージが浮かんだので、図書館で日本の古い絵を見てキャラクターを考えました。私はもともとお稲荷さんにいる白狐が好きだったので、「ぎっことんこ」は白狐のお面をかぶったおばけにしてみました。それでラフスケッチを持って、長谷川摂子さんと編集者に見てもらったんです。
すると長谷川さんは、「お面にしないで狐そのものにしない?」とおっしゃいました。お面をかぶっていると、子どもはその下にどんな顔が隠れているんだろうと想像して怖くなっちゃうから、という理由でした。そして、「狐がおもしろいから、おばけは違う名前にするわ」と、名前を変えてくださったんです。新人の私が描いた絵を見てベテラン作家の長谷川さんがテキストを変えるだなんて、思ってもいなかったことだったので、とても驚きました。もう、感動ですよね。絵本というのはこんな風に、作家さんとやりとりしながら一緒につくりあげていくものなんだと、身をもって体験したわけですから。
初めての絵本づくりでこういう貴重な体験ができたことは、私にとってすごくラッキーなことでした。長谷川さんには本当に感謝しています。
▲かんたは遊ぶ友だちが見つからず、お宮でへんてこな歌を歌いました。すると風が吹き、大きな木の根っこにある穴から呼び声がして……。『めっきらもっきらどおんどん』(文・長谷川 摂子、福音館書店)
▲風の子なのに寒がりのフーは、くまのストーブ店で美しいガラスのストーブを手に入れます。ストーブの火があたたかくゆらめく、不思議なやさしさのあるファンタジー絵本『ひめねずみとガラスのストーブ』(文・安房直子、小学館)
20代の頃、ユーリ・ノルシュテインの『話の話』という作品を見て以来、ロシアや東欧圏の短編アニメーションに魅せられて、いろいろ見るようになったんですね。アメリカの文化とは違う、重さというか、裏にあるもの悲しさ、色合いの渋さなどにとても惹かれたんです。
そんなとき、編集者の紹介でチェコスロヴァキアの絵本の研究家の方の蔵書を見せてもらう機会に恵まれました。そこで出会ったのが、ドゥシャン・カーライさんの描いた『不思議の国のアリス』。東欧では子どもがこんな絵を見て育つのかと衝撃を受けました。日本では子どもの絵本というと、簡単でわかりやすくて元気な絵みたいなものが多いのに、それとはまったく逆のものがそこにはあったんです。
その頃は、日本でも絵本ブームが始まった頃で、荒井良二さんや飯野和好さんなど、それまでイラストレーターとして活躍されていた作家さんたちが、おもしろい絵本を描き始めていました。そんな中、私は自分自身の作品に物足りなさを感じていて…… ほかの絵本作家が持っていないものを身につけないとだめだなと思っていたところでした。
それで、ドゥシャン・カーライさんがスロヴァキアの美術大学で教鞭をとっていると知り、渡欧を決意。1992年から6年間、ブラティスラヴァ美術大学で学びました。向こうでいろいろな人の作品を見る中で学んだことはとても多く、私自身の絵を描くテクニックも幅がぐんと広がったように思います。
……降矢ななさんのインタビューは後編へとまだまだ続きます。(【後編】はこちら→)