絵本作家インタビュー

vol.151 絵本作家 岩田明子さん(前編)

絵本作家さんや絵本の専門家の方々に、絵本についての思いやこだわりを語っていただく「ミーテカフェインタビュー」。今回は「ばけたくん」シリーズなど、愛嬌あるキャラクターとシンプルかつスピード感あふれる展開、面白い形の変化で子どもをひきつけてやまない絵本作家・岩田明子さんにご登場いただきます。子どもが生まれたことで絵本と出会い、一念発起して絵本塾に通い絵本作家への道を歩き出した岩田さん。ばけたくん誕生秘話や最新作についてなども伺いました。(【後編】はこちら→

絵本作家・岩田明子さん

岩田 明子(いわた あきこ)

1967年、東京都生まれ。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒業。2004年、子どもの本専門店「メリーゴーランド」主催の絵本塾に参加。絵本作品に、「ばけばけばけばけ ばけたくん」シリーズ、『とんねる とんねる』『どっしーん!』(いずれも大日本図書)、『こちら たこたびょういん』(PHP研究所)、『はらぺこソーダくん』(佼成出版社)など。

ひろすけ童話を繰り返し読んでもらった

岩田明子さん

子どもの頃は、母が言うにはおっとりした子だったそうです。よくしなくてもいいケガをしていた記憶があるので、とにかくボーッとした感じだったと思います(笑)

絵は描いていましたが、特別好きということもなかったですね。それより外で遊ぶのが好きでした。ただ一つ覚えているのは、病み上がりの時に、突然「スパゲティを描こう!」と思い立ったことです。一本一本このスパゲティはこの下を通って……と、ちゃんとつながるようにナポリタンを描いたんです。すごい熱中しましたね。幼稚園の頃だったかしら。この時のことを思い出して、『ばけばけばけばけ ばけたくん』にもスパゲティを描いたんです。

絵本については、家に浜田廣介さんのお話が入った「ひろすけ童話」と、日本昔話や世界昔話がありました。絵本はそのくらいですね。ひろすけ童話は好きで、繰り返し読んでもらっていました。『泣いた赤おに』とか……『くりのきょうだい』は、小学校の発表会で紙人形劇をやりましたね。ただ、『よぶこ鳥』のように悲しいお話が多いんですよね。お母さんがいなかったり、死んじゃったり、そういうのは好きじゃなかったですね。だから自分がつくるのは楽しいお話がいいなと思っています。

子育て砂漠に絵本が染み込んだ

「絵本」というものを意識したのは、子どもを産んでからです。学校を卒業して百貨店の宣伝部に就職したのですが、絵をもっと描きたくて辞めて、フルタイムのアルバイトをしていました。その頃はアクリルで抽象画を描いていましたね。「絵で食べていきたい」とは思っていましたが、絵本はまったく意識していなかったんです。

その後子どもが生まれたんですが、それまでと180度生活が変わっちゃって。それまで好きなように美術館や映画館に行っていたのに、どこにも出かけられないじゃないですか。子どもが7・8ヶ月になってようやく図書館に行ったんです。そこで、ブライアン・ワイルド・スミスさんの絵本に出会って「こんな素敵な人が絵本描いているんだ!」って驚きました。

子育て砂漠のところに、絵本が染み込んだ感じでしょうか?(笑) 今まで絵本なんて意識したことがなかったけれど、いい絵があるんだな、美術館に行かなくてもいろんな絵が見られていいなと思いました。それで借りられるだけ借りて、子どもと一緒に紙芝居なども読むようになって。初めてそこで子どもの絵本と出会ったんですよね。

いろいろ絵本を見ているうちに、「絵本だったら私にもつくれるかも」と図々しくも思っちゃって(笑) まず自分の子どものためにつくってみたんです。ちょうど2歳くらいの頃ですね。1歳半まではそれどころじゃなかったんでね。子どもが昼寝している間などに、見よう見まねで、紙を貼り合わせて、ちょこちょこつくり始めました。

最初の本は、子どもが雷を怖がっていたので、雷は怖がらなくていいんだよというもの。しつけ絵本ですね(笑) 3冊くらいつくったところで欲が出てきて、仕事にできたらいいなと思うようになりました。ただ出版社に持ち込みしようにもそんな勇気はとてもなく。そこでメリーゴーランドという書店で絵本塾をやっていることを知って、子どもが幼稚園に行き始めたのをきっかけに応募することにしました。

絵本塾で鍛えた「自分は子どもに何を伝えたいのか」を強く持つ力

もりのおうさま

▲たっちゃんは、大きな大きな木の幹に穴を見つけました。穴の先には、くねくねと階段が続いています。降りたところは不思議な根っこの森。そこで出会ったのは……『もりのおうさま』(絶版)

絵本塾に行く時点でもう、絵本作家になりたいとしっかり意識していました。38歳だったので、1年通ってダメだったら諦めてパートに出ようと、自分で区切りをつけて行きました。同時に新風舎えほんコンテストにも出したんです。これは、絵本塾に通って1年くらい経った頃に金賞をいただいて出版されました。

賞をいただいた『もりのおうさま』は、アクリル画を描いていた当時の絵の雰囲気が残っています。これはストーリーで展開を追うもので、「ばけたくん」など今描いているものはスピード感でページをめくるもの。雰囲気が全然違うと言われます。でもまだ当時は何もないまっさらな状態だったので、作風などと考えている余裕はありませんでしたね。今でもストーリーのものも、リズム感のあるものも好きなんですよ。

メリーゴーランドの絵本塾では、まず1冊ラフをつくってきて、みんなで回し読みして意見を言い合うという形をとっていました。先生が3人いらして、三者三様違うことをおっしゃるんですよ(笑) でも「ここにくる時点で作家なんだから、今聞いた意見を自分で考えて取捨選択しなさい」と言われます。それで次のラフをつくって……意見を聞いて……ラフつくって……という繰り返しです。それでだんだん自分でも何がいいのか分かんなくなっちゃって(笑) その作品は寝かして、次のを持ってくる人もいました。

私はその時「ばけたくん」をつくっていました。途中『とんねる とんねる』(後に出版)などをはさみながら、結局1年間やっていましたね。「自分が何が描きたいのか」ということをブレずに保つのは、大変なんだということが身にしみました。言われちゃうとね、やっぱり揺らぐわけですよね。そこを原点に戻って、私は子どもたちに何を言いたかったのかな、というところを考える力を、絵本塾で鍛えられましたね。

例えば「ばけたくん」で言うと、体が変化していく、そのムズムズするような感覚を表現したかったんです。食べたもので、体の感覚も違ってくるということが伝わればいいなと思って始めました。子どもって、泥遊びとかもそうですけれど、ダイレクトに皮膚から伝わってくる感覚が鮮明。そういうのを一緒に体感してほしいなと思ったんです。


……岩田明子さんのインタビューは後編へとまだまだ続きます。(【後編】はこちら→


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