絵本作家インタビュー

vol.138 絵本作家 赤川明さん(前編)

絵本作家さんや絵本の専門家の方々に、絵本についての思いやこだわりを語っていただく「ミーテカフェインタビュー」。今回は、『わたしはおにぎり』『ラーメンのかわ』などのナンセンス絵本が人気の絵本作家・赤川明さんにご登場いただきます。パワーあふれるキャラクターや奇想天外なお話は、すべて落書きから生まれるそう! 「これまでのものを、すべて捨てて生まれた」というデビュー作や、人気作の制作エピソードをたっぷり伺ってきました。(【後編】はこちら→

絵本作家・広瀬克也さん

赤川 明(あかがわ あきら)

1960年、東京生まれ。絵本作家。1995年、『みあげるとそら』でデビュー。主な絵本作品に、『わたしはおにぎり』『おじいさんとうみ』『おとなりはそら』(ひさかたチャイルド)、『たこしんごう』(ひかりのくに)、『さかさまじん』(らくだ出版)、『ラーメンのかわ』(講談社)、『アイスクリームとけちゃった』(ポプラ社)など。「絵本探険隊」隊長。
絵本探険隊のブログ http://blog.goo.ne.jp/ehontankentai

とにかく絵がヘタ! でも「自分はアイデアが出る」と思っていた少年時代

わたしはおにぎり

▲わたしはおにぎり。転がったり、変装したり、歌ったりするのが得意! そして、悪い怪獣とだって戦うのだ。お話に怪獣が登場する『わたしはおにぎり』(ひさかたチャイルド)

何かものをつくるのが好きな子どもでしたね。計画を練るんじゃなくて、衝動的にパパパッてやりたくて、一番親しんだのはセロハンテープ。そうやってつくるから、見栄えなんて全然しないし、やたらヘタクソ(笑) ただ何をつくろうかって、考えるのが好きでしたね。自分でもね、小さい頃から「自分はアイデアが出る」と思っていたんですよ。

小学校の3、4年の頃、ダンボールで自分の背丈くらいのロボットをつくりました。でも、セロハンテープですからね。何度も倒しながら、どうにか立たせた(笑) 大きいものが好きでしたね。今でも、絵本に怪獣とかを出すのが好きです。

同じ頃、友だちの影響で本も好きになっていたんですよ。江戸川乱歩の少年探偵団シリーズ。あれにハマって。夏休み中かけて、原稿用紙51枚使って、自分たちが探偵になって活躍する話を書いたんです。実際に、探偵団もつくっていました。友だちのお母さんが、ガリ版で10冊くらい刷ってくれて、先生などに配ってくれたことがありましたね。

絵は、自分でもヘタクソだと自覚していました。描くこと自体は好きだったんですけれど、描けるとは思ってなかった。今でも覚えているんですが、何描いたらいいか分からないから、ずっと考えているうちに、授業の時間がきちゃって……という感じでした。一度思い切って、紙いっぱいにでっかくオタマジャクシの絵を描いたことがあるんですよ。はじっこに、ヒキガエルの卵も描いて。その絵を見た教頭先生が、「これ面白いな」って笑ったんですよね。初めてほめられた時かもしれないですね。

とにかく、自分は絵が下手で、絵が描けないと思っていたのに、それがこんな仕事をするようになるんですから、不思議なもんですよね。

絵本を“あなどった”おかげで、「やったろう」と思えた

中学・高校はサッカー三昧でした。そんな中、高校の文化祭の時にクラスの出し物でアニメーションをつくることになったんです。絵がとにかく描けないので、しょうもないものになったんですけれど(笑) でも、面白くてね。

その時の体験が忘れられず、大学ではアニメを制作するサークルに入りました。好きだったのは、ソ連のユーリ・ノルシュテインのような海外の個人作家のものでしたね。日本では、岡本忠成さんとか川本喜八郎さんとかがいらっしゃって。そういう人たちの上映会を見始めたんです。テレビで見るアニメとは全く違うのが驚きでした。こういう世界があるのか、と憧れましたね。

卒業してアニメの制作会社にアルバイトで入ったんですが、これ2ヶ月半でしっかり挫折しました(笑) 大勢で一つのテレビシリーズをつくるというのは、下積みが長い。一生かかって自分ができることって一つくらいでしょう? そのためにすごい長い時間拘束される生活をがまんしなくちゃいけないってのは、これはイヤだなと思ってね。

制作会社を辞めちゃって、さてどうしようかという時に、本屋さんで絵本と出会ったんです。なんというか、あなどったんですよね(笑) お話簡単じゃないですか。絵も、アニメの細か~いのに比べたら、大胆でシンプルで、こなしやすそうだなって。今つくづく思うんですけれど、本当にあなどりましたね(笑) だけど、そのおかげで「やったろう」と思えたわけです。

そこから絵本の学校に行ったんですよ。講談社フェーマススクールズが、童画絵本専門学院という全日制の学校を開いていたんです。今も年に1回の展覧会を続けている絵本探険隊は、ここで同じクラスだった人たちとつくりました。主任講師の高橋宏幸先生が「この世界はひとりじゃいけないよ、卒業したらグループをつくりなさい」とおっしゃったことがきっかけです。

絵本探険隊は、卒業した次の年に第1回の展覧会をやりました。来年が25回目……ということは、25年やっているんですね。最初から、勉強会みたいな雰囲気は全くないんです(笑) 一緒に旅行に行ったり遊びに行ったり。僕が隊長をやっているのは、たまたま年齢が一番上だったからというだけなんですよ。

ただ思うに絵本探険隊がなかったら、僕は今こうして絵本を描いていられたかどうか分からないです。他のメンバーが僕より先に絵本を出したりしてね、俺もがんばろうって奮起しました。また結婚したことで、「すがりついてでも絵本をやっていかなくっちゃ」って焦るようになりました。それで、無我夢中で絵本を描きまくったんです。

今までのものを、すべて捨てて生まれたデビュー作

みあげるとそら

▲かめが見上げるときりん、きりんの上にはとり。雨が降ってきたら、とり、きりん、かめの順にあたります……『みあげるとそら』(ひさかたチャイルド)

かめさんバス

▲バスが好きなかめさんがバスになりました。けれど足の遅いかめ。誰も乗ってくれません。そこへやってきたのは……『かめさんバス』(チャイルド本社)

デビュー作は『みあげるとそら』です。幼稚園・保育園向けの月刊絵本「もこちゃんチャイルド」(チャイルド本社)に掲載されました。昨年、全部描き直したものが市販本になりました。

最初は、あちこちの出版社に持ち込みをしたんです。当時はカラーコピーもないので、原画をそのまま大きいカートに入れて持っていってたんです。行っては「ダメ」って言われて、また新しく別のを描いて、足して、また「ダメ」って言われて。そんな中、チャイルドさんに拾っていただいたんですよね。最初に目を留めていただいたのは『かめさんバス』という話です。出版の関係で『みあげるとそら』が先に出たんですが。『かめさんバス』は当時の編集長の方がすごく気に入ってくださって。でも、僕は「なんで?」って思ったんですよ。

学校を卒業してから2~3年の間は、もっと細かい絵を、一生懸命苦しみながら描いていたんですよ。内容もね、今思うと「これ子どものものじゃないじゃん」というものでした。絵本というものがどういうものか、学校へ行ったくせに何も分かってなかったですね。頭でっかちになっていた部分があって、「絵本は子どもに何かを与えなくてはいけない」みたいな、傲慢なことを考えていましたね。

でもね、その絵本では誰も見向いてくれなかった。実は、在学中につくった作品が、クレヨンハウスの絵本大賞で佳作に入選したことがあったんです。それは、いつもとは違って気楽に描いたもので、僕にとってはなんでもない作品。自分が思っていた「絵本とはこうあらねばならない」ということとは全然違うものだったんですよね。でも、入選した。絵についてもそうだったんですよ。デッサンの勉強もして、一生懸命やってたんですよね。でもね、今思えば絵本の絵としてはつまらなかったんですよね。

だから全部変えなくちゃいけないと思いましたね。それまでのものを捨ててしまおうと思ったんですよ。これじゃダメだ。でもどうしたらいいか分からない。もう、本当に無我夢中で、なんでもいいからとにかく描けと。そういうのを経験して、やっと自分らしさというものが作品の中に出てきたんだと思うんですけれどね。「こうあらねばならない」というくだらない思い込みをとっぱらっちゃうと、ずーっと楽になりました。そういうのを全部うちこわす方向で描きました。そういう中で『かめさんバス』は生まれましたね。

あれは、指で描いているんですよ。クレヨンを油絵で使う溶剤で溶かして、指で伸ばして色をぬっているんです。当時はいろんなやり方を試しましたね。だからあれは汚い(笑) だけど、チャイルドさんでは「絵に勢いがある」ってほめられましたからね。これは一体なんなんだと思いましたね。

それからチャイルドさんで急に何冊も出せるようになって、夢みたいでしたよ。自分がどうして急に売れ出しちゃったんだろうって。実感がないというか、当時は自分では理由が分からなかったんですよね。


……赤川明さんのインタビューは後編へとまだまだ続きます。(【後編】はこちら→


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