絵本作家インタビュー

vol.132 紙切り似顔絵師・チャンキー松本さん 挿絵師・いぬんこさん(前編)

絵本作家さんや絵本の専門家の方々に、絵本についての思いやこだわりを語っていただく「ミーテカフェインタビュー」。今回は、紙切り似顔絵師・チャンキー松本さん、挿絵師・いぬんこさんご夫妻です。Eテレ「シャキーン!」や『おかめ列車』の、昭和の雰囲気漂う絵でおなじみのいぬんこさん。チャンキーさんとは、青空亭という屋号で、イラストやアートイベント等様々な活動をしてきました。お二人の息の合ったやり取りが生んだ最新作や人気作の制作秘話を伺いました。
今回は【前編】をお届けします。(【後編】はこちら→

紙切り似顔絵師・チャンキー松本

チャンキー 松本(ちゃんきー まつもと)

香川県生まれ。紙切り似顔絵師。イラストや音楽、パフォーマンスなどの活動をする。紙切り似顔絵とは、客の顔や写真を見ながら、紙切りで似顔絵をつくるもの。絵本は、『ちんどんやちんたろう』(絵・いぬんこ、長崎出版)が1作目。
切り絵師チャンキー松本の日々の切り取り http://kamikirichanky.blogspot.jp/

挿絵師・いぬんこ

いぬんこ

大阪府生まれ。挿絵師。Eテレの子ども番組「シャキーン!」のメインイラストを手がける。絵本は、『おかめ列車』、『おかめ列車 嫁にいく』(長崎出版)、『ここにいるよざしきわらし』(文・荻原浩、朝日新聞出版)、『うれないやきそばパン』(文・富永まい、作・中尾昌稔、金の星社)。
いぬんこのえ http://inunco.blogspot.jp/

今も昔も、長い文化祭の途中

紙切り似顔絵師・チャンキー松本さん、挿絵師・いぬんこさん

チャンキー松本さん(以下C):いぬんこと出会ったのは、大阪でデザイナーをしていた25歳の頃。

いぬんこさん(以下I):私は会社をやめて、漫画家になろうとしていた時期でした。その少しあとに、阪神・淡路大震災があったんですよね。それが、チャンキーさんがフリーになろうかという矢先でした。

C:当時、僕は狭いアパートに住んでいたんですけれど、地震で建物にヒビが入ったから、引っ越すように言われて。

I:私が一緒に仕事場として借りるという話になって、ちょっと広めのところを引っ越したんです。それを機に結婚ということになったんですよね。

C:それから「青空亭」という屋号を持って、二人で活動し始めました。「青空太郎」というバンドの名前から名づけたんです。いぬんこがキーボードで僕が歌ってたんですよ。

I:私らは当時小さい家に住んでいたけれど、青空はどこまでも広いじゃないですか。青空の下の小さい家。小さい家だけれど、逆にすごい大きいとも言えるみたいなイメージです。その頃、赤瀬川源平さんの「宇宙の缶詰」という作品を見たんですよね。缶詰を裏返したのを展示して「宇宙の缶詰」という。逆転の発想が、何か素敵やなと思って。そんな発想からつけた名前です。

C:そんなこと考えてたん!? 初めて知ったわ(笑) いぬんこは青い空がすごく好きやからね。ま、当時からいろいろやってたんですね。30歳前後から人とのつながりが広がって、アートの世界とか、音楽の世界とか、知っていったんですね。

大阪ってそんな広くないから、一ヶ所に人が集まってくるんですよ。扇町ミュージアムスクエアっていう映画館もギャラリーも芝居小屋も音楽も、映画館もあるサブカルチャーのメッカみたいなところがあって、劇団☆新感線の事務所があったり、ぴあがあったり、すごい面白い場所やったんです。

I:私、そういう雑多な人が集まってくる場所で、「学び」でもないですけれど、経験になったことが多いなと思っていて。違う考えやセンスの方と触れ合うことって、他ではあまりないですよね。今もそういう偏らない、雑多な感じが好きなんですけれど、この場所での経験からかもしれないですね。

C:みんな、何かやりたい、というような。エネルギーがありますよね。

I:長い文化祭みたいな感じ、そういう場所だったんです。

C:今も変わらないですけれど、いまだに長い文化祭みたいなもん(笑) いいのかな? 良くなくはないですけれど、運命だと思っています。

「シャキーン!」と和テイストの面白い絵

うれないやきそばパン

▲今にもつぶれそうな、おじいさんのパン屋さん。やきそばパンのピョンタは今日も売れません。一念発起したおじいさんがつくった、おしゃれなデニッシュパンは大人気になりますが……。「シャキーン!」の制作メンバーから生まれた一冊『うれないやきそばパン』(金の星社)

C:Eテレの番組「シャキーン!」のディレクターは、大阪時代に僕らと一緒にイベントをつくっていた方なんです。いぬんこはその人をすごく信頼しているから、「しっかり仕事をやりたい」と言うんで、東京に来たんです。

I:「シャキーン!」は、もう6年目になるのかな? 最初に子ども番組の絵を描いてみないかという話が来た時には、驚きました。私はそれまで、子ども向けの絵を描いているつもりはまったくなかったし、子ども自身を描くこともなかったですし。ただ、子ども番組らしくない感じで進めたい、ということだったので、お受けしたんです。

C:いぬんこは、昔から絵が上手かったんですけれど、10年くらい前に意識してタッチを変えた時期があったんです。Macで絵を描きだしたのも大きいんですけれど、ある時「これからは、今ないものを描かなアカン」って言ったんですよ。それで和テイストの面白い絵を描こうと、勉強しに行ったんですよね。そうやったらね、急に仕事がグーンと来るようになった。

I:ある断易(中国の古い占い)の本を見て、こういう東洋的な挿し絵を描く人はもう少ないんだろうなぁ、とボンヤリ考えたんです。もともと江戸時代の浮世絵とか、日本の大衆絵画的なものが好きだったこともあって、滋賀の民画で「大津絵」というのがあるんですが、その教室に通ったんです。その頃からですね。タッチが変わったのは。

C:それを意識してやったのって、横で見ていて大したものやなって思いますよ。

I:今、「シャキーン!」の音楽を担当しているサキタハヂメくんっていう、のこぎり音楽をやっている人がいて、彼とは扇町ミュージアムスクエア時代から仲良くしていて、彼のバンド「はじめにきよし」のCDのジャケット絵を描いたんです。この頃から、なんとなく、童話チックというか、ほのぼのした感じの絵に変わったんです。

C:というより、空間をつくるのが上手くなったんですよ。『ちんどんやちんたろう』では、いろんなアングルから描いているんですが、そこにつながってくるんですよね。以前アニメーションもやってたんで、カメラワークから学んだというのもあるでしょうね。

I:好きなんです。いろんな構図を変えたりするのが。

『おかめ列車』の誕生と、乗車率200%のイベント

おかめ列車

▲お祭りに連れて行ってもらえなくなった、こももちゃんとお兄ちゃん。あきらめてかくれんぼを始めたところ、布団の中から勢いよく「おかめ列車」が飛び出しました! 二人を乗せて飛びたったおかめ列車が向かう先は……!?『おかめ列車』(長崎出版)

C:そもそも、おかめ列車の絵自体は、10数年前に描いてたんですよ。サキタハヂメくんのCDの絵を描いた頃に、100枚絵を描く展覧会をやったんですよ。その中で、ほかのキャラクターと一緒に、ピョンとおかめ列車が出てきたんですよ。「シャキーン!」のオープニングにも顔を出しています。だから、たまに出てくるキャラクターではあったんですよね。

I:無意識に描いていたキャラクターの一つですね。だるまとかたぬきとか、いろいろ和風っぽい絵を描いていたんです。おかめ列車は、母性、生命力があるイメージでしたね。原始的な衝動で突き進むキャラクター。絵本のお話をいただいた時に、編集者さんにいろいろ絵を見せたんです。その中から見出されて、名前もその場でついたんです。

最初の『おかめ列車』が出た時に、イベントをやったんです。私たち東京来て間もなかったんで、私たち二人でできることで、無料イベントにしよう、ということは決めていたんです。

結果「乗車率200%」と言われたくらいで、ギャラリーの外まであふれるほど人が来てくれはったんです。私らがイベントするならって、友人知人が「一緒にやろう」と名乗り出てくださって。いつの間にか10人くらいで「おかめ列車まつり」をやることになったんですよね。

「おかめ音頭」という歌をチャンキーさんがつくって当日歌ったんですけれど、最後には、ちっちゃい子まで「おかめ、おかめ♪」って歌っていてびっくりしました。

絵本を出したのも初めてだったし、絵本のイベントも初めてで、本屋さんで自分の本が並んでいるのを見かけても、読者がいて読んでくれているという実感がなかったんです。それがイベントで、チャンキーさんがちょっと隠し気味で絵本を見せて「これ、何だか知ってる?」って言うと、子どもたちが「おかめ列車!」って。「知ってんねんや」って、すごく感動して、うれしかったですね。

チャンキーさんは、子どもに人気があるんですよ。おかめ列車のイベントの時も、チャンキーさんがおかめ音頭を歌って、振り付けをして、ちょっと客席の方行ったんです。そしたら何も言ってないのに、子どもが魔法にかかったようについていったんです(笑) そういえば、同じマンションの子も、よく部屋に遊びに来るんですよ。ちんたろうのモデルになった子です。


……チャンキー松本さんといぬんこさんのインタビューは後編へとまだまだ続きます。(【後編】はこちら→


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