絵本作家インタビュー

vol.130 絵本作家 いわむらかずおさん(前編)

絵本作家さんや絵本の専門家の方々に、絵本についての思いやこだわりを語っていただく「ミーテカフェインタビュー」。今回は、30周年を迎えた「14ひきの」シリーズの絵本作家・いわむらかずおさんにご登場いただきます。14ひきの家族と同じく栃木・益子の雑木林の中で暮らし、里山の風景を残す「えほんの丘」で創作活動を続けるいわむらさん。「14ひきの」をはじめとした人気作の制作秘話や、絵本・自然・子どもへの思いなどを伺いに、「えほんの丘」を訪ねました。
今回は【前編】をお届けします。(【後編】はこちら→

絵本作家・いわむら かずお

いわむら かずお

1939年、東京生まれ。東京芸術大学工芸科卒業。絵本作家。『14ひきのあさごはん』(童心社、絵本にっぽん賞)『ひとりぼっちのさいしゅうれっしゃ』(偕成社、サンケイ児童出版文化賞)、『かんがえるカエルくん』(福音館書店、講談社出版文化賞受賞)、「ゆうひの丘のなかま」シリーズ(理論社)、「ふうとはな」シリーズなど。1998年栃木県那珂川町に「いわむらかずお絵本の丘美術館」を開館。

最初の雑木林の中の家

私の幼児期は、戦争の真っ只中なんです。終戦の翌年に小学校に上がるという。子ども時代の話というと、そのことを避けられないですね。

最後の2年弱を秋田県の祖父母の元に疎開をしているわけです。5~6歳というまだ親に甘えたい年頃です。両親と離れて暮らす寂しさと、幼児でも伝わってくる戦争の不安、そしてひもじさ。絵本を読むとか、絵を描くとか、そういったことはほとんど記憶にないですね。「忠」とか「孝」とか、そういうことが何より大事な時代でした。

唯一良かったのは、周りに自然があったことですね。メダカ採って遊んだり、じいさんが休みの日に小川で雑魚を採ったりね。それは自然に親しむということではなくて、食べるためですよ。そういう自然の中で過ごすことができたのは、今につながっていると思います。

戦後、戻ってきたところが東京の杉並なんですけれど、オヤジが何とか探し出した8畳一間に、8人家族が暮らすんです。私の小学校6年生までそれが続くわけですね。ひどい貧困でした。いつもお腹空かして、さつまいもが食べられれば上等なんですよね。

そういう中でも、今の14ひきなんかを生み出した元になったのは、戦争で一旦は離れ離れになった家族が、幸いにして、本当に幸いにしてなんですよね、みんな無事に東京に戻ってきて一緒に暮らすことができるようになったということ。両親がいて、兄弟もいて、というのは大変幸せなことでね。貧しい中でも救われたと思いますよ。

そこは、今の杉並に比べると、自然がいっぱいありました。家は、雑木林に囲まれていて、雑木林を降りてくれば田んぼがあってね。善福寺川という川があって、これは戦後まもなくドブ川になってしまうのですが、最初の頃はザリガニがいたり、ドジョウがいたりしましたね。家が狭いので、暗くなるまで雑木林の中で遊んでいましたよ。

小学校も中学校も高校も、美術の時間が大好きでした。一番解放されるというか。美術の先生っていっても、小学校も中学校も高校も、みんな絵描きさんだったんですよ。先生には恵まれましたね。

「表現をする」ということが、好きな少年だったんだと思います。ほかにも学級新聞をつくるのに相当熱中しましたし、小学校6年生の時にスカウトされて児童劇団に入るんです。当時は「スカウト」なんて言いませんでしたけれど(笑) それで高校生の時に将来を考えて、「表現する仕事」それから「自由な職業」に就きたいと思ったんです。それで美術学校に行くのがいいかな、と考えたんです。

親はいろいろ指図せず「やりたければやりなさい」というようでしたね。母親は、すごくいい母親というか、子どもをすごく大事にする人でね。「かずおちゃんだったらできるよ」ってね。絶対に子どもを信頼しているというかな。劇団に入る時も、東京芸大を2浪した時も。それが大きい一言ですね。

いわむらかずお絵本の丘美術館

▲「いわむらかずお 絵本の丘美術館」エントランスと広々とした眺め(写真左、中央)。館内にはこんなお客様がそこここに(同右)。

幸運に恵まれた、絵本作家への道

絵本作家への道を進むという意味で、このあと幸運に恵まれていくんです。

大学生の時に、NHKで「歌の絵本」という子どもの歌の番組がスタートします。その番組に絵を描かないか、という募集が大学の学生課に来たんですよ。それに級友が応募して、ちょっと遅れて私も入れてもらって、グループで番組の絵をすべて描いていたんです。「子どもに向けて描く」という仕事にそこで出会ったんですね。

その後就職したんだけど、その仕事はとても面白かったので、本当はいけないんだけど、辞めずに続けていました。会社が終わってうちでご飯食べてから、またみんな集まってやるという。結婚してすぐの頃でしたが、なかなかハードで50数キロくらいしかないほど痩せていましたね。

番組内では、子どもの歌を何曲もやるわけです。絵を描くために、歌を何回も何回も口に乗せて歌ったり、文字を見たりしながら絵を描いていく。そのことで、まどみちおさんに阪田寛夫さん、谷川俊太郎さん……。そういう人たちの歌詞を、詩を、繰り返し口に乗せるということができたわけですよ。絵本の言葉って文章っていうより言葉だと思うんですけれど、その言葉の勉強をすごくさせていただいたと思うんです。

言葉以外にも、新鮮な子ども観に出合いました。それまでの子どもの本とか歌というのは、上から教訓を与えるものだった。そうじゃない、子どもたちのすごく楽しい空間や世界をつくり出していく。心の世界をぐっと広げていくものが、子どもにとって大事なものだという……大雑把に言うとね。そういった新しい子ども観にすごく共感を覚えましたね。

またこの頃、「絵本」というものの存在に気づいて、すごく面白いなと思い始めるわけです。日本橋の丸善洋書部や東光堂書店には、まだ翻訳されていない絵本が並んでいました。同時に60年代の後半になると、福音館書店とか、岩波書店とかが翻訳出版を次々に始めるわけですね。

例えば、フェリクス・ホフマンの一連の作品は絵が大好きでしたね。マリー・ホール・エッツの『わたしとあそんで』なんかは、私にとってのある意味絵本の教科書のようなものだったですね。こういった欧米の絵本は、絵が主役で、絵が物語を運んでいくという。今はそれが当たり前のことですが、当時の私にはそれはすごい面白いことでした。これぞ絵本だというね。

同時にその頃子どもが生まれて、絵本年齢になっていくわけです。子どもに読んであげていると、子どもがすごい絵本が好きなのが分かる。自分がいいと思っている本と、子どもが夢中になる本とに少しズレがあって、いろいろ考えましたよ。絵本って子どもにとってものすごく大事なものだなと、自分の子どもを通して学んでいくわけですね。

絵本作家になるために必要なものが、必要な時に、身の回りに揃っていく。まさにそんな感じでしたね。絵本というものの素晴らしさ、魅力が分かってきて、自分もそういうものを描きたいな、と次第に思うようになっていったわけです。

多摩丘陵で、自分の原風景に気づく

くまでんしゃ

▲ぼくは電車が大好き。くまの運転手に運転助手に誘われて、動物のお祭りのための荷物を取りに電車を走らせることに……。多摩動物公園と京王線の引き込み線がイメージの元『くまでんしゃ』(岩波書店)

絵本作家になりたい、なろう、と思い、出版社に絵本の持ち込みをしました。幸い、実業之日本社の編集長が、『あふりかのぷくぷく』を面白いと言ってくれました。ただ「1冊じゃ無理なんで、あと2冊描いて下さい」って。それが5月頃だったと思うんですが、クリスマスとかお正月に間に合うように、9月には絵の原稿をあげてくれっていうわけですよ(笑) 一つの試練として受け止めなくてはいけない、と思ってやりましたね。

この最初の3冊は、日野市の団地の一室で描いたんです。多摩丘陵に移り住んでから、絵本作家の仕事が始まるわけだけれど、そのことが私の進む道にすごく大きな影響を与えたと思います。

『くまでんしゃ』というのは近くにあった多摩動物公園と京王線の引き込み線からイメージを、『うさぎのへや』は団地を舞台にしたものですね。実際に野うさぎに、ばったり出会ったんです。多摩ニュータウンの建設予定地の中でした。人が開発して住宅団地をつくって移り住んでくると、このうさぎたちはどうなるんだろうか、としきりと考えるようになりましてね。

また、この多摩丘陵に移り住んですごく大きかったのは、周りに雑木林がいっぱいあったことですね。雑木林を歩くようになって、すごく懐かしい安らいだ気持ちになった。そういうことで、自分の中の原風景の存在に気づくわけです。戦後の少年時代を過ごした杉並のうちがまさに雑木林の中にあったので、当時のもろもろのことが蘇ってくるような感じがあったんでしょうね。原風景というのは、20代にはあんまり考えないけれど、30を過ぎて、自分にも子どもができるような年齢になってくると気づくというかね。そういうものらしいですね。

雑木林の中に入って歩き回ることが、心地よいというか、うれしいというか、家に戻ると、絵本のイメージがいっぱい湧いてくるんですよ。引き出しの中にいっぱいダミーが詰まってました。その中に、「14ひきの」の元になるような、雑木林の中に家族が暮らしているイメージというのが生まれてくるわけです。戦後の雑木林の中の、私が子どもだった時の家族の情景と重なる。それに気づかせてくれたのが、多摩丘陵の雑木林だったというわけです。


……いわむらかずおさんのインタビューは後編へとまだまだ続きます。(【後編】はこちら→


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