絵本作家インタビュー

vol.129 絵本作家 きしらまゆこさん(前編)

絵本作家さんや絵本の専門家の方々に、絵本についての思いやこだわりを語っていただく「ミーテカフェインタビュー」。今回は、キュートでユニークな動物や乗り物たちが活躍する絵本のほか、ビジネス書のイラストなども手がけられている、きしらまゆこさんにご登場いただきます。周囲には "理系の体育会系"だと思われていたきしらさんが絵本の世界に飛び込み、デビューするまでのエピソードや、さまざまな作品についての制作秘話などをお聞きしました。
今回は【前編】をお届けします。(【後編】はこちら→

絵本作家・きしら まゆこ

きしら まゆこ

大阪府守口市生まれ、京都市在住。「インターナショナルアカデミーえほん教室」にて、黒井健氏、高畠純氏らに師事。2003年『うさぎくんのぼうし』で絵本作家デビュー。絵本作品『サンタのいちねんトナカイのいちねん』『タイヤがパーン』(ひさかたチャイルド)、『よくばりおおかみ』『しょうぶだ!!』(フレーベル館)などのほか、実用書やビジネス書の挿絵などイラストレーターとしての作品も多数。
きしらまゆこ公式HP http://www.kishira-mayuko.net/

作家としてのルーツ!? "親も認めた" パラパラマンガのクオリティ

幼い頃から絵本を読むのが大好き。お気に入りは、安野光雅さんの『ふしぎなえ』(福音館書店)や、しかけ絵本で、ひとりで楽しめるものだったからか、親や先生からの読み聞かせって、あまり記憶にないんです。

絵本好きは小学生になっても変わらずで、高学年で絵本を読んでいると「赤ちゃんみたい」と友人にからかわれたり、先生には「字のついた本を読みなさい」と言われたり(笑) でも、「読んでみて! おもしろいよ」と周囲を巻き込み、みんなを"絵本好き"にしていました。

ただ、学校の授業では、国語や図工より、算数や体育が得意な子でした。でも、絵を描くのは好きで、子どもの真似事ですが、"絵本もどき"をつくっていましたね。またマンガが好きで、パラパラマンガをよく描いていました。ノートでは足りなくなり、教科書にも……。先生からは注意がはいったのですが、父親が「いい出来だ」と褒めてくれて(笑) 自分のものに描くのならいいんじゃないか、という事でお咎めはナシ。それどころか、教科書よりもっともっと分厚い本を渡され「これに描いてごらん」(笑) ……それは超大作だったんですが、現在行方不明なんです。実家にあると思うので、いつか探し出します。

高校では、仲のよかったお友だちも絵本好きだったので、一緒に書店に出かけて、大好きな作家さんたちの新刊を見つけては喜んで……大人になった今も、それはずっと変わらないですね。

母親を含め、親戚に教師が多かった事、またいい先生ばかりに恵まれて育ったので、将来は漠然と「先生になるのかな」と思っていて、教育大学の理科系に進みました。ある時、OBで京セラの元代表取締役会長・西口泰夫さんが研究室に遊びに来られたんです。当時は専務をされていたと思いますが、「よかったら会社見学においで」と学生を誘ってくださいました。伺ってみると、とても会社の雰囲気がよくて……採用試験を受け、システムエンジニアとして就職しました。その頃も、絵本には接していましたが、まさか自分が絵本作家になる、なれるとは思ってもみなかったです。

「大好きな作家さんに会える!」で飛び込んだ、えほん教室

きしらまゆこ

会社も仕事も大好きで、結婚しても数年勤めていたのですが、やりがいがあるだけに忙しく、仕事とプライベートどちらも中途半端になりそうだったので、思い切って会社を辞め、専業主婦をしていました。

そんなある日、定期購読をしていた月刊誌『MOE』(白泉社)の誌面に、「インターナショナルアカデミーえほん教室」の生徒募集の記事を発見! メイン講師に黒井健さんと高畠純さん、さらに、そうそうたる作家のお名前がずら~っと並んでいて、「大好きな絵本作家さんたちに会える!おもしろそう!」……で、教室の場所が家から近かった事もあり、授業内容はあまり確認せず(笑) 申し込みました。

教室には「先生方の講演を聴きにいくだけ」と思い込んでいて、絵本づくりの授業があるとは思っていませんでした。初日が高畠先生で、カメラと色紙とペンと先生の絵本を忍ばせ、気分よく出かけると、いきなり「絵本には右開き、左開きがあり……」と講義が始まってビックリ(笑) 授業終了後、みんなが先生にダーッと殺到するので「サインだ!」と思い、駆け寄ったら、私以外は、自作の絵本を先生に見てもらおうとしていて……その日は、さすがにサインはお願いできず(笑)

私は18期入学なのですが、ちょうどその頃、先輩方、たとえばさいとうしのぶさんの絵本デビューが決まったり、東京展も始まって編集の人たちにも作品を見てもらえるようになったりと、先輩が道をつくってくださって教室全体が盛り上がっていた、とてもいい時期だったようです。同期には、はぎのちなつさんもいました。

教室で生まれた作品が編集者の目にとまり、作家デビューへ

みんなが教室でつくっているのは、どこにも売っていない、世界でただひとつの絵本。熱心なクラスメートに囲まれて、おもしろくて楽しくて。どんどん絵本づくりにはまり、1年が終わる頃には4冊も絵本ができあがっていました。

その4冊は、先生には「すべて90点」と言われ、「100点に向けてあと10点取るのが難しく、そこがアマチュアからプロへなれるかどうかの大きな壁。そして、たとえ100点になって1冊が出たとしても、2冊目はまた0点からスタート、絵本業界は厳しい世界」ともおっしゃいました。

でも、元々自分が絵本なんてつくれないと思っていた私にとってみれば、「全部90点!? すごい! バンザ~イ!」と単純に喜んで、そのまま研究科に進みました。研究科はえほん教室に1年間通ってさらに本格的に絵本づくりを学びたい人のための教室で、1年に1度修了展はあるものの、何年通ってもよく、絵本作家に本気でなりたい人たちの集まりです。

そして2003年、研究科2年目の修了作品展に出品したのが、デビュー作となった『うさぎくんのぼうし』です。当時チャイルド本社の編集長だった植村和久さんに気に入っていただき、出版が決まりました。

『うさぎくんのぼうし』の最初のラフを高畠先生に見せた時、いつもは厳しい先生が、「これは本になるよ」と言ってくれたんです。そして、出版が決まった時には「おめでとう。ね、言ったでしょ!」(笑)って ……うれしかったですね。

そして翌年、『7にんのこぐも』を出版。これは、実は研究科1年目につくったもので『うさぎくんのぼうし』より手作り絵本としては先にできあがっていました。修了作品展に来られたフレーベル館の編集者さんが、「これ好きだなー」と言ってくださったので「どうぞお持ち帰りください」と。編集者さんに自分の本が好きだと言ってもらえた事がうれしくて、出版されるかどうかなんて事はさておき、プレゼントしたつもりでお渡しした絵本でした。

3作目となる『ヘリコプターくん うみをいく』は、ヘリコプターとヨットが、プロペラと帆を取り替えっこする話。当初のアイデアは、空を飛びたい魚が鳥に羽を借りる、というものでした。「でも、羽を取るなんて痛い……どうしよう?」と考えていたところ、「そうだ! 乗り物にしたら痛くない!」に気づき、話が膨らんで完成したお話です。

うさぎくんのぼうし

▲風に飛ばされたうさぎくんの帽子。高い木にひっかかっちゃって困っていると……。『うさぎくんのぼうし』(ひさかたチャイルド)

7にんのこぐも

▲7にんのこぐもたちが大活躍。「にじ」「かみなり」「ゆき」の秘密がわかります。『7にんのこぐも』(フレーベル館)

ヘリコプターくん うみをいく

▲ヘリコプターくんのプロペラとヨットさんの帆を取り替えっこしてみたら……。ユーモアたっぷりのしかけ絵本。『ヘリコプターくん うみをいく』(ひさかたチャイルド)


……きしらまゆこさんのインタビューは後編へとまだまだ続きます。(【後編】はこちら→


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