絵本作家インタビュー

vol.126 絵本作家 山西ゲンイチさん(前編)

絵本作家さんや絵本の専門家の方々に、絵本についての思いやこだわりを語っていただく「ミーテカフェインタビュー」。今回は、『こんもりくん』や『カンガルーがいっぱい』などの絵本でおなじみの絵本作家・山西ゲンイチさんにご登場いただきます。愛嬌たっぷりで生き生きとしたキャラクターに、奇想天外なお話が魅力の山西さん。マンガが大好きだった子ども時代から、人気作の描かれなかったエピソードや絵本への思いを伺いました。
今回は【前編】をお届けします。(【後編】はこちら→

絵本作家・山西ゲンイチ

山西 ゲンイチ(やまにし げんいち)

1971年、長崎県生まれ。絵本作家・イラストレーター。第2回ピンポイント絵本コンペ入選。『ブタコさんのかばん』(ビリケン出版)でデビュー。絵本作品に『カンガルーがいっぱい』(教育画劇)、『みにくいフジツボのフジコ』(アリス館)『おじいさんのしごと』(講談社)、『ハーナンとクーソン』(大日本図書)など。『こんもりくん』(偕成社)が第4回MOE絵本屋さん大賞受賞。挿し絵作品に「そばかすイェシ」シリーズなど。よしもとばなな作品の装画も手がける。

マンガに明け暮れた子ども時代 動物とは兄弟のように

みにくいフジツボのフジコ
山西さんのネコ

▲「あなたは私の本当の子ではないの」とフジツボのママに言われてしまったフジコ。本当のママを探しにネコのトムと一緒に出かけます!『みにくいフジツボのフジコ』(アリス館)写真下は山西さんのネコ。フジコを頭に乗せています。

絵は物心ついた頃からずっと好きで描いていました。家にあったチラシやなにかの裏紙に描いてたんです。今でも、自由に描くには裏紙でないとリラックスできないところがあるんです。スケッチブックとかだと緊張して描けないので、買っても使わないですね。

読むものは、マンガばっかりでしたね。藤子不二雄はずっと好きで、小学校低学年の頃は『ドラえもん』です。自分でも吹き出しつけて、コマ割りして、友だちとマンガの描きっこをしていました。その子が家に遊びに来ても、ちゃぶ台にそれぞれ座って描いて、描き終わったら見せっこするという感じでした。自分がつくったのは『ニャンとワン』という話です。主人公がネコとイヌなんですけれど、本当は宇宙人なんです。

絵本については、家に10冊もなかったと思います。本の名前を全部言えるくらいです。『かばくん』に、『しょうぼうじどうしゃじぷた』、『いちごばたけのちいさなおばあさん』、『おおきなかぶ』とかです。『いちごばたけのちいさなおばあさん』は、本当のことみたいに思っていました。小さいおばあさんが、いちごを塗っているって。ただほかの本は名前や内容なども覚えていなかったんです。絵本を描くようになってから、図書館に行って思い出したんです。あとは姉と兄と一緒に紙芝居を読んでもらっている写真などが残っています。

兄弟が上に2人だったので、立場が弱かったんですよ。それで、家にいたネコや小さい動物とは、本当に同志というか、弱い立場同士助け合って行こうというか(笑) そういう感じでした。一緒に寝ていましたし、兄弟みたいでしたね。

ほかにも、ハムスターにイヌ、ニワトリ……。ニワトリは一時期、20とか30とか、結構な数を飼っていたんです。庭に放し飼いをしていて、毎朝すごくいい卵を産んでくれました。ハムスターも、一緒に寝ていたと思うんですよね。普通だと逃げると思うんですけれど。その頃は、動物たちと何か通じ合っていたんだと思います。

今でも動物は好きで、ネコを2匹、イヌを1匹飼っています。『みにくいフジツボのフジコ』の帯の下に隠れて載っているのは、うちのネコです。ネコやイヌなどの小さな動物が作品によく登場するのは、このあたりが理由なのかもしれません。

イラストやマンガを出版社に持ち込む

高校はすごい進学校で、勉強ばっかりしていました。絵は一切描いていないです。高3の夏、いざ「どこの大学に行こう」と考えた時に、大学の違いがわからなくなって……。ようやく真剣に考えて、美大に行こう、絵を仕事にしていこう決めたんです。

ただ、遅すぎたんですよね。その上、美術の先生から「デザイン科に行かないと仕事がない」と言われて、デザインの勉強をしてみたけれど合わなくて……。一応、3つ受けたんですけれど全部落ちて、それで東京の予備校に入ったものの、それも行かなくなって……。でも、生きていくために何かしなくちゃと、イラストをファイルに描き溜めて、出版社に持ち込みするようになったんです。

結構な数、行きました。有名なところはほとんど、イラストの持ち込みに行っています。始めたらそれが面白くて。電話したら会ってくれて、目の前で見てくれる。当時は、ほとんど直接会えました。作品を客観的に見てもらえるし、ちゃんと一人前として扱ってもらえる、そんなところが面白かったんです。

最初に仕事をくれたのが講談社で、ほかに『たまごクラブ』『ひよこクラブ』では、小さなイラストの仕事をいっぱいしましたね。片っ端から描きました。男性誌も女性誌も。ただ、使ってもらえるのはその時だけで、それからつながったということはなかったんですよね。

マンガも描きました。しりあがり寿さんとか、朝倉世界一さんとかのようなマンガを描きたいなと思ったんです。これも描き溜めて持ち込みしましたね。デビューできて、『ヤングサンデー』では1年連載しましたし、『小学6年生』にも描きました。3~4年はやりましたけれど、それほど人気もでなくて、このままやっていても未来はないかなって。毎号人気を気にしないといけないというのも、しんどかったですね。

その頃、絵本を描いてみようと思ったんです。ずっと気にかけてくださった『ヤングサンデー』の副編集長の方に、「絵本に行きます」と言ったら、「そんな甘い世界じゃない!」と止められました。絵本の深い世界を知っていらしたし、「マンガがダメだから絵本」という、軽い感じに見えたんだと思います。

ただ、僕はかなり命懸けだったんです。自分では、絵本の世界は可能性があって、「なんでもあり」なところがすごいと思ったんです。マンガもマンガですごい。でも、一番違うのは、全部カラーで見開き、というところですね。キャラクターをつくるのが好きで、それはマンガでも絵本でも同じだと思うんですけれど、絵本でやってみたいと思ったんです。

デビュー作『ブタコさんのかばん』

ブタコさんのかばん

▲ブタコさんが、大きなかばんを持って歩いています。「ねえ、ブタコさん、その大きなかばんには何が入っているの?」。リスやウサギたちは気になって仕方がありません。そして後ろに忍び寄る影は、誰?『ブタコさんのかばん』(ビリケン出版)

絵本について考えだした頃、きれいな色のiMacを買ったんです。これ使って何かしたいなと思って、持ち込み用のマンガとして描いていた『ばかずきん』という赤ずきんちゃんのパロディーみたいなのを、絵本に描き直してみたんです。線だけいつものマンガの描き方で、色はマックで塗って。それが第2回ピンポイント絵本コンペで入選した『ばかずきん』です。

賞を取ったものの、「絵本」というものを全然知らないということに気がつきました。子どもの頃も読んでないですし。それで図書館でいっぱい読んだんです。勉強しようと思って。長新太さんもその頃知って、すごいなと思いました。中でも『ゴムあたまポンたろう』(童心社)が一番好きです。うちのネコもポンたろうって言うんですよ。

ただ賞をもらったことが直接出版に結びついたわけではなかったんです。持ち込みの際に「コンペで見ました」と言ってもらえましたけれど。『ブタコさんのかばん』も持ち込みをして、ビリケン出版で気に入ってもらえたんです。出ると決まってから、1年くらいかかりました。

『ブタコさんのかばん』の話は、タイトルから思いつきました。ブタコさんのかばんには何が入っているのかな、と思ったら面白くなって。裏紙にずーっと描いていると、時々面白いのが出てくるんですよ。アイデアだけでまだ作品にはなっていないものがたくさんあります。

いつも「なんか面白いことないかな」と、ぼんやり考えていますね。フジツボとクレーターが似ているな、とか。やっぱりつくるからには手にとって見て欲しいので、「普通じゃないもの」と思っているんです。ただ、それだけでは面白いことが起きないので、あとは一生懸命考えます。キャラクターが生まれると、勝手に動く部分と、頭で考える部分と両方あります。電車とか乗っていても、知らない人(キャラクター)の人生のことをずっと考えているのって、なんか妄想しているみたいで、頭の中が大変です(笑)


……山西ゲンイチさんのインタビューは後編へとまだまだ続きます。(【後編】はこちら→


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