絵本作家さんや絵本の専門家の方々に、絵本についての思いやこだわりを語っていただく「ミーテカフェインタビュー」。今回ご登場いただくのは、『ちくわのわーさん』『うどんのうーやん』『こんぶのぶーさん』で大人気の絵本作家・岡田よしたかさんです。関西弁を話すユーモラスな食べ物たちをイキイキと描き出す岡田さん。作家としてデビューされるまでのユニークなご経歴、絵本に込めた思いなどを伺いました。
今回は【前編】をお届けします。(【後編】はこちら→)
1956年、大阪府生まれ。愛知県立芸術大学・油画科卒業。地球儀など教材玩具のメーカーや共同保育所に勤務しながら、個展やグループ展を重ね、自費制作による画集も出版。作品には『おーいペンギンさーん』『特急おべんとう号』(福音館書店)、『うどんのうーやん』『こんぶのぶーさん』(ブロンズ新社)などがある。2012年、『ちくわのわーさん』(ブロンズ新社)で、第3回リブロ絵本大賞を受賞。
子どもの頃から絵が好きで、小学校の頃は手塚治虫さんなどの影響で、漠然とマンガ家になりたいと思っていました。
僕自身は、絵本にはほとんど接していません。時代的に今ほど絵本はたくさんなかったと思います。ただ、ミッキーマウスなんかのディズニーマンガや、東映動画を本にした、たとえば『わんぱく王子の大蛇退治』とか、そういうのは家にあってよく読んでました。どちらかと言うとテレビっ子でしたね。
高校では美術部に入りたかったけど、上級生の勧誘にあって、登山部へ(笑) だから美術部の中で絵を描くことはなかったけど、美術の先生に絵の具の使い方なんかを教えてもらい、高校2年生くらいから油絵を描き始めました。これがおもしろくって。でも芸大に行くつもりもなく、卒業後は今で言う「フリーター」を半年ほどしていました。
しばらくするとデッサンをやりたくなって、美術系の大学進学予備校に通い始めましたが、来ている連中は浪人生やから、みんな技術力が高くて、僕がダントツにヘタクソ。そこで一生懸命やっているうちにどんどん上達し(笑) 芸大の油絵学科へ進みました。当初は教授のおぼえもめでたかったのに、お笑いやちょっと下品なモノを描いたりと作風が変わるにつれ、相手してくれへんようになりました(笑)
卒業制作もお笑いモノの作品やったんですが、すごく評判がよかったんです。それに気をよくして、「もう自分がやりたいことはやったかな」と筆を置いて、ミュージシャンになろうかなんて考えていました。が、芽が出ず……(笑) で、大阪の松屋町筋にある地球儀制作の会社でアルバイトを始めました。そう、このとき、三國連太郎さん主演の映画『利休』で使う小道具の仕事依頼がきて、僕が着彩した地球儀、スクリーンに「バーン!」とアップで映ったんですよ!
数ヵ月働いて、2~3ヵ月休んで、という生活を5年ほど続けていたところ、友人からグループ展の誘いを受けました。5年くらいまったく絵から遠ざかってたけど、他のヤツらに負けたくなかったし、がんばって描きました。
けれどいろんなハプニングが重なって、4人でのグループ展のはずが、僕ひとりの展覧会に(笑) とにかく壁を埋めなあかんので、出す予定のなかった絵までひっぱり出して、なんとか体裁を整えました。それが確か1986年、第1回の個展です。
その次の年から、保育所で働き始めました。地球儀の会社を辞めて仕事を探していたときに、縁あって大阪市内にある無認可の共同保育所の存在を知り、まったく知らん世界やけどやってみよ! と思いたち、募集をしてないにも関わらず訪ねていくと、夕方2~3時間だけでもいいなら、と雇ってもらえて、翌年からは常勤になりました。
ここでたくさんの絵本に触れたわけですが、「おもしろいな」とは思っても、自分で描いてみようとはまったく思わなかった。結局、その保育所は10年ほどで財政的に立ちゆかなくなり、閉めることになりましたが、この間、絵はずっと描き続け、年2回のペースで個展を開くうちに、美術関係の人たちとの人脈も広がりました。また自費で画集を2冊、出版したりしてました。
▲初めて銭湯に行ったたろうが、風呂から上がると服がない。残っていたのはペンギンの着ていた黒い服。だからたろうは追いかけた。『おーいペンギンさーん』(福音館書店)
東京に、今年で39回目という長い歴史を持ち、そうそうたるメンバーが集まる「人人展」という団体があります。メンバーのひとりに誘われ、僕もこの展覧会に参加しました。
「人人展」には、井上洋介さん、片山健さん、スズキコージさんといった大物絵本作家さんたちも出展したことがあって、出版社の人たちも見に来ます。そこで、福音館書店さんから、「『大きなポケット』に描きませんか」と声をかけてもらう機会をいただきました。
今は廃刊となっている小学生向けの月刊誌『大きなポケット』、これに掲載する10ページの誌面を、内容は何でもいいということで任されました。そこで描いた作品は『謝り倒す人々』。
内容は、たとえば駅のトイレで、人が入っている個室のドアをバーンと開けてしまう。開けた方は必死に謝り倒し、開けられた方は、「わかったから、はよ、ドア閉めてぇや」……(笑) そんな「謝り倒す人々」がテーマのストーリーを1ページに1つずつ描いて、10ページに仕立てて。
その直後、同じ福音館書店の、今度は絵本単行本の担当者さんから声がかかり、手がけたのが『おーいペンギンさーん』でした。
ずっとひとりで絵を描いてきたので、編集者さんとやりとりをしながら作品を作り上げていく過程がとても新鮮でおもしろかった。けど、やり直しやり直しの連続で、世に出るまで3年近くかかりました。絵本業界、実際厳しいモンやなぁと痛感しました(笑)
……岡田よしたかさんのインタビューは後編へとまだまだ続きます。(【後編】はこちら→)