絵本作家さんや絵本の専門家の方々に、絵本についての思いやこだわりを語っていただく「ミーテカフェインタビュー」。今回は、ミーテでも大人気の『もこもこもこ』や「ことばとかずのえほんシリーズ」など多数の絵本でおなじみの詩人・谷川俊太郎さんにご登場いただきます。当時は珍しかったナンセンス絵本はどうやって生まれたのでしょうか? 母親っ子だったという子ども時代の話から、最新作『すき好きノート』の制作エピソードまでをうかがいました。
今回は【前編】をお届けします。(【後編】はこちら→)
1931年、東京生まれ。詩人。1952年、詩集『二十億光年の孤独』でデビュー。詩作のほか、絵本、翻訳、作詞、脚本など様々なジャンルで活躍。主な絵本作品に、『わたし』(絵・長新太、福音館書店)、『あな』(絵・和田誠、福音館書店)、『もこもこもこ』(絵・元永定正、文研出版)、「ことばとかずのえほんシリーズ」(絵・堀内誠一、くもん出版)など多数。最新作に『すき好きノート』(装画・安野光雅、アリス館)がある。
谷川俊太郎.com http://www.tanikawashuntaro.com/
僕は一人っ子で、すごい母親っ子で、虚弱児童でした。
父親が大学の先生だったから本の洪水の中で育っています。子ども向きの本があるわけじゃないこともあって、本はあんまり好きではなかったんです。ただ、『講談社の絵本』とか『キンダーブック』なんかは読みました。図鑑も見ましたね。自動車に限ってですが。自動車は幼稚園の頃から大好きで、実物でも絵でもブリキのおもちゃでも良かった。家のすぐ近くがもう田んぼでしたから、外でも遊びましたよ。
小学校の5年くらいまでは、毎年夏になると1ヶ月くらい北軽井沢の別荘に行っていました。自然が違いましたね。トンボの数が違うし、木が違う。それから浅間山が近くにあった。鬼押出しという溶岩のところをずっと歩いて奥の方へ行くのが好きでしたね。当時は、岩に番号がついてるだけで、わりと自由に歩けたんですね。父と二人で行ったような記憶があります。
僕は母親に120%愛されていました。自分が死ぬことよりも母親が死ぬ方が怖かったくらい、母親っ子でした。母親は、僕が一人っ子だということを意識していて、できるだけ甘えさせないようにしていました。結構厳しかったですよ。ただ、口うるさい母親ではなかった。小学校くらいになると、男の子だから危ないことをするじゃないですか。橋の欄干を歩いたりね。そういうことを止めなかった。それはよく覚えていますね。
逆に父親は、「遠くにいる人」でした。廊下でつながった離れの和室が彼の仕事部屋で、だいたいそこにいました。ときどき仕事ができなくて「ワーッ」と喚いてね(笑) 後に心理学者の河合隼雄さんから、父親というのはそれが一番いいんだと言われました。ある程度離れたところで存在しているのが父親。それが理想だって。僕が登校拒否になった時も、イチイチうるさく言わなかったですよ。
▲かがくのとも(1971年2月号)の『まるのおうさま』(福音館書店)絵は粟津潔さん
詩との出会いと言うと、高校でしょうね。僕を詩に誘ってくれたのが、高校の同級生でしたから。ただ、詩を書いているという意識はあまりなかったんですよ。友だちの真似をして行分けで言葉を書いてみたら詩みたいなものができて、ちょっと面白くて書き続けたというところでしょうか。
高校を卒業後、大学にも行かないでブラブラしていました。父親に「これからどうするんだ」みたいなことを言われたんです。ほかに何もないんで、「こんなのを書いているよ」と、詩を書いたうすっぺらいノートを3冊見せたんです。父は若い頃詩を書いていたから、ある程度の良い悪いがわかったんでしょう。半分親バカで、知り合いの詩人、三好達治さんに見てもらったんです。三好さんが認めてくれて、それが雑誌に掲載されてデビュー作になりました。
もともと、詩だけでは食べていかれないと思ってました。それでいろんな仕事を引き受けたんですよ。絵本もそのひとつだったんです。僕は絵本作家ではないので、どれが最初の絵本とあまり意識はしていませんが、たぶん『まるのおうさま』だったと思います。レコードやタイヤ、球など次々と丸い形のものが登場する本です。自分の子どもの名前をいれた『けんはへっちゃら』『しのはきょろきょろ』という和田誠さんの画で絵本も作りましたね。
僕は、いわゆる認識絵本みたいなものが好きなんです。認識絵本というのは、ものの見方や考え方を、子どもにわかるように伝えるものです。例えば、社会ということを「社会」という言葉を使わないで説明しなくてはいけない。普段知っていると思い込んでいる言葉の意外な面が見えてくるという意味で、詩と近いのかもしれませんね。
2009年に復刊した「ことばのえほんシリーズ」3冊は、デザイナーの堀内誠一さんと作ったものです。あの作品は、先に波瀬満子さんという女優さんたちと「ことばあそびの会」というのをやっていましてね。彼女が子どもたちに五十音を朗読することをしていたんですよ。抑揚や表情をつけて。
そこから「日本語の響きの面白さ」を伝えたい、という発想でこのシリーズが生まれました。1972年に出版された時はソノシートがついていて、波瀬さんが朗読していたはずですよ。今見ても面白いですよね。『かっきくけっこ』なんか特に、ひらがながそのまま絵になっていて。普通では思いつかない発想でしょう。『ぴよぴよ』は、オノマトペの言葉だけですが、ひよこの冒険物語の形をとっています。ほかの2冊は音だけでストーリーがないでしょう。結果的にそれまでにない幼児向けの絵本になりました。
以前、ナンセンスの本質について「母親が新生児に語りかけるような言葉」と言ったことがあります。こういった本は、書いてあることから離れて、どんどん自由に読んでもらっていいと思いますよ。
▲「ことばのえほん」シリーズ。『ぴよぴよ』『かっきくけっこ』『あっはっは』は09年に復刊。『かずのえほん いくつかな?』は当時の堀内誠一さんの絵に、谷川さんが新たに詩を書き下ろして、2010年に刊行(いずれも絵は堀内さん くもん出版)
……谷川俊太郎さんのインタビューは後編へとまだまだ続きます。(【後編】はこちら→)