絵本作家さんや絵本の専門家の方々に、絵本についての思いやこだわりを語っていただく「ミーテカフェインタビュー」。今回ご登場いただくのは、『夏平くん』や『パパとぼく』などでおなじみの絵本作家・あおきひろえさんです。絵本作家・長谷川義史さんの奥様で、3人兄弟のお母さんでもあるあおきさん。絵本作家になられたきっかけや絵本の制作エピソード、子育てをしながら毎日を楽しむコツなど、いろいろとお話を伺いました。
今回は【前編】をお届けします。(【後編】はこちら→)
1963年、愛知県生まれ。京都精華大学美術学部デザイン科卒業後、大阪のイラストレーター集団・株式会社スプーンを経てフリーランスに。主な作品に『パパとぼく』『きょうはパン焼き』『夏平くん』(絵本館)、『じゃんけんほかほかほっかいどう』(文・長野ヒデ子、佼成出版社)、『ハルコネコ』(教育画劇)、『ぼんちゃんのぼんやすみ』(講談社)、『おめでとう おめでとう』(文・中川ひろたか、自由国民社)などがある。
あおきひろえホームページ
http://www.eonet.ne.jp/~mousebbb/mouse_top.html
小さい頃は引っ込み思案で、お母さんのうしろに隠れてるような、おとなしい子でした。そんな私が唯一自信を持ってできた自己表現が、絵を描くこと。広告の裏とか地面とか、描けるところにはどこにでも描いてましたね。3人姉妹の真ん中で、なんとなく家族の中では“けなされ役”みたいな役回りを担ってたんですけど、絵だけは褒めてもらえたんです。だから小学1年生のときには、将来は絵描きになろうと決めていました。
中学1年のとき、名古屋の美術館で見たゴッホの絵のことは、今でも忘れません。我が家には美術館に行くなんていう文化的な習慣はなかったんですけど、私が「どうしても見に行きたい」と熱心にお願いしたので、父も「これは連れて行かないといけない」という気になったみたいで、名古屋まで連れて行ってくれたんです。
名画が来るということで美術館は長蛇の列で、長いこと並んで人混みの中でなんとか見たんですけど、ものすごく衝撃を受けました。原画には印刷物で見るのとはまったく違った迫力があって、絵の中から感情がびしびし伝わってきて、びっくりしてしまったんですね。油絵を始めたのは、そのあとのことです。
美大卒業後に入社した会社では、イラストレーターとして広告や雑誌などで絵を描く仕事をしていました。時代はバブルだったので仕事は山ほどあって、常に追われているような忙しい日々でしたね。絵本を描きたいという気持ちはその頃からあって、思い描いていた構想もあったんですけど、あまりに忙しくて、それを人に見せられるような形にする時間はありませんでした。
その後、会社を辞めてフリーのイラストレーターとして活動するようになったんですけど、そのうち子どもが生まれて、子育てでいっぱいいっぱいになってしまって。初めての絵本を出版できたのは、3人目の息子が幼稚園に入ってからのことでした。
▲あおきひろえさんが8年の歳月を経て世に送り出したデビュー作『パパとぼく』(絵本館)
次男を産んだあと、なぜか急に創作意欲がわいてきて、絵を描き始めたんですね。ウィリアム・サローヤンの『パパ・ユーアークレイジー』という小説の世界が大好きで、最初はその小説の挿絵を描くつもりで描き始めたんですけど、描くうちにだんだん自分なりのお話ができあがってきて…… でも、子育てで忙しい時期で、お話をきちんとまとめて書く暇はなかったので、描きあげた絵はしばらく押入れの中に寝かせていたんです。
お話をまとめて編集者に見てもらう機会を持てたのは、絵を描いてから8年も経ってからのことでした。そうしてできあがったのが、デビュー作の『パパとぼく』。パパと息子が行き当たりばったりの旅をするお話です。
私自身、パパと息子という関係に憧れがあったんですよね。私はやっぱり母親なので、子どもとちょっとその辺に出かけるだけでも、水筒にお茶を入れて、おにぎりもつくって、着替えも持って、雨が降るかもしれないから洗濯物も取り込んで……と、大変なことにならないように、準備万端整えて出かけるんですよ。でも父親は、何も持たずにふいっと出かけたりするじゃないですか。それで、お昼ごはんのことも考えずにその辺でコロッケとか買って食べさせたりして……。
なんでそういうことするの!?とムカつきつつも、その段取り無視の自由さをうらやましく思う気持ちもあるんですよね。私も父親だったらそうするのにな、男の育児ってなんてロマンがあるんだろうって。『パパとぼく』は、そんなパパの育児に対する反発と憧れが詰まった絵本なんです。
▲あおきひろえさんの小学校時代の思い出から生まれた絵本『夏平くん』(絵本館)
『夏平くん』は、小学校時代の同級生のこと思い出しながらつくった絵本です。名前もそのままずばり、夏平くん。やんちゃで、やることなすこと無茶苦茶で、先生も手こずってるんだけど、なんだか愛らしくて憎めない、そんなタイプの男の子でした。
夏平くんとは小学1年から中学卒業まで同じ学校に通っていて、家も近所だったので、一緒に集団登校したりしてたんですね。私は引っ込み思案だったから、会話を交わした覚えは全然ないんですけど、私にとって夏平くんは、いつも気になって目で追っちゃうような存在でした。
大人になって実家に帰ったとき、母から夏平くんの噂話を聞いて、なんだかどうしても夏平くんのことが描きたくなってきて。それで、子どもの頃のことを思い出しながら、小さなエピソードをつなぎあわせてお話をつくりました。読者の方からは、「こういう子いたいた!」という感想をよくいただきます。
表紙のタイトルの文字は、うちの三男が書いたものなんですよ。子どもが書いたような字がいいなと思ったんですけど、自分で書くとあざとい感じになってしまうので、息子たち3人に書かせてみたんです。
そうしたら、幼稚園児だった三男の書いた字が一番よかったんですね。まだ字もまともに書けない子が書いたから、よく見るとちょっと間違ってるんですけど、そこがまた味があっておもしろいなと思って採用しました。思いのままに、きれいな心で書いてくれたのがよかったんでしょうね。
……あおきひろえさんのインタビューは後編へとまだまだ続きます。(【後編】はこちら→)