絵本作家さんや絵本の専門家の方々に、絵本についての思いやこだわりを語っていただく「ミーテカフェインタビュー」。今回ご登場いただくのは、『ぶきゃぶきゃぶー』の絵や『おたねさん』『たこたこふうせん』など、迫力のある絵とどこかとぼけた作風で人気を集める絵本作家・竹内通雅さんです。現代美術のアーティストやイラストレーターを経て絵本作家になられた経緯や、話題の最新作『イチロくん』の制作エピソードなど、いろいろとお伺いしました。
今回は【前編】をお届けします。(【後編】はこちら→)
1957年、長野県生まれ。創形美術学校版画科卒。1986年「ザ・チョイス年度賞」大賞受賞。39歳でイラストレーターから絵本作家に転向。主な作品に『たこたこふうせん』(架空社)、『どんどん しっぽ』(あかね書房)、『おたねさん』(農文協)、『ぶきゃぶきゃぶー』(文・内田麟太郎、講談社)、『きみのともだち』(岩崎書店)、『月夜のでんしんばしら』(作・宮沢賢治、三起商行)、『イチロくん』(ポプラ社)などがある。
竹内通雅blog ぴいたら日和 http://tugablue.exblog.jp/
絵を描くのは小学生の頃から好きでした。漫画やアニメも大好きで、家ではよく広告の裏に漫画の絵を真似て描いてましたね。そっくりに描けないといやで、消しゴムで何回も消して描き直したりして。
絵描きになろうと決めたのは、高校に入ったばかりの頃。高校時代に描いた油絵は、今も僕の原点だと思っています。今、僕が絵本で使っているような色合いを、高校時代にはすでに使ってましたからね。
25歳ぐらいまでは現代美術の世界で活動していたんですが、それだけでは食べていけないので、働きながら作品発表する日々でした。でも、そういう生活にだんだん行き詰まりを感じるようになったんですね。ちょうど1980年代前半、世の中バブルで、イラストレーターやコピーライターといった職業が花形の時代でした。これはやってみない手はないな、と。
それで、イラストレーションのコンテストに応募し始めたんです。賞をもらったら、仕事がどんどん舞い込んできました。そのうち、収入もどんどん増えて……ちょろっと描いただけで、こんなにお金もらっちゃっていいのかな、みたいな感じで、違和感もあったんですよ。とはいえ、お金は入ってくるわけだから、使いますよね。四畳半のアパートからのスタートだったのに、高級マンションに住むようになって、高級オーディオを買ったりして。
そんなバブル時代が、あっけなくひっくり返ってしまった。そうするとイラストの仕事も激減するわけです。そのときに僕に残されてた道というのが、絵本の仕事でした。実は34歳のときに絵本の依頼を受けていたんですけど、忙しくてほとんど手をつけられずにいたんです。でもほかの仕事がなくなったから、本腰入れて取り組むことができて。39歳のときに、『かぼちゃにしたら…』で絵本作家としてデビューしました。
▲畑の生命力が描かれた『おたねさん』(農山漁村文化協会)と、ブタおじさんのバスのお話『ぶきゃぶきゃぶー』(文・内田麟太郎、講談社)
僕の描く絵はどうしても、色使いが強くなってしまうんです。もともと油絵などのこてこての表現から入ってるので、おしゃれな感じに描こうとしても、そうはならないんですよ。自分の質みたいなものが出るんでしょうね。
でもその中でいろいろやってみるのが好きなので、絵のスタイルはテキストによって変えています。『おたねさん』では、畑の暑苦しい感じや、土の匂いがぷんぷんするような雰囲気を表現するために、油絵風にこってりと描きました。『走れメロス』(文・太宰治、ほるぷ出版)はクレヨンと色鉛筆。ほかの作品では、水彩絵の具を使ったりもしています。
自分の絵のスタイルがパターン化してしまうのが嫌っていうのもありますね。テキストをほかの作家さんが書いた作品の場合は特に、新しい表現に挑戦したくなるんです。いただいたテキストを、作家さんの思うつぼに描いたら悔しいじゃないですか。「こうきたかー!」って思わせたいんですよ。
内田麟太郎さんと組んだ『ぶきゃぶきゃぶー』は、僕の描いた絵本の中でも特に人気があるみたいですね。内田さんのテキストはとてもシンプルで、絵についての指示はあまりないんですよ。あったとしてもちょっとしたト書きで、「○○か?」とあるくらい。あとは任せる、みたいな感じなんです。だからかなり自由に描かせてもらいました。
内田さんとはほかにも『へいきへいき』(講談社)と『わらった』(絵本館)という絵本をつくったんですけど、『わらった』のテキストには参りましたね……(苦笑) このまま絵にしたら俺の負けだ!と思って、自分なりに真摯に対峙して描きました。
▲童話集「注文の多い料理店」に収録された珠玉の一篇を、竹内通雅さんが力強く描いた『月夜のでんしんばしら』(三起商行(ミキハウス))。
これまでしっちゃかめっちゃかな作風の絵本が多かったから、気分とか勢いで描いてるように思われがちなんですけど、実は僕、わりと理詰めで考えるタイプなんですよ。しっちゃかめっちゃかな作風も、自分なりに絵本業界に揺さぶりをかけるつもりで、意識してやってるんです。誰も気づいていないかもしれないけど(笑)
宮沢賢治の『月夜のでんしんばしら』は、原作を何回も何回も読み込んでから描きました。宮沢賢治のような世間の評価の定まった作品は、できるだけ原作と矛盾がないようにすることが、読者に対しての親切なんじゃないかなと思って。
月の位置や形にもこだわりました。賢治が何年何月何日にこの作品を書いたかというのがわかっていたので、インターネットでその日の月の情報を調べたんです。それで、賢治は夜中に線路の方を歩きながら、こんな形の月を見てたんだな、と思いをめぐらせながら描きました。
巻末には、絵本の中にも出てくる軍歌の譜面を載せています。宮沢賢治がつくって歌っていたらしいんですよ。ドッテテドッテテドッテテドー♪ってね。イベントなどで子どもたちと一緒に歌ったことがあるんですけど、覚えやすいのですごく盛り上がりました。
……竹内通雅さんのインタビューは後編へとまだまだ続きます。(【後編】はこちら→)