絵本作家さんや絵本の専門家の方々に、絵本についての思いやこだわりを語っていただく「ミーテカフェ インタビュー」。今回ご登場いただくのは、「ねずみくんの絵本シリーズ」でおなじみの、なかえよしをさん・上野紀子さんご夫妻です。『ねずみくんのチョッキ』が出版されたのは1974年。34年にわたってたくさんの読者に愛されるねずみくん&ねみちゃんの裏話や、絵本作家としてのスタート、二人三脚での絵本づくりについてなど、いろいろとお話を伺いました。
今回は【前編】をお届けします。 (【後編】はこちら→)
1940年、神戸市生まれ。日本大学芸術学部美術科卒業。広告代理店のデザイナーを経て絵本作家に。『いたずらララちゃん』(絵・上野紀子、ポプラ社)で第10回絵本にっぽん賞受賞。作品に『ねずみくんのチョッキ』(絵・上野紀子、講談社出版文化賞・ポプラ社)、『こねこのクリスマス』(絵・上野紀子、教育画劇)、『ことりとねこのものがたり』(絵・上野紀子、金の星社)など多数。
1940年、埼玉県生まれ。日本大学芸術学部美術科卒。1973年、『ELEPHANT BUTTONS』(Harper&Row社)で絵本作家デビュー。夫・なかえ氏との作品「ねずみくんの絵本シリーズ」(ポプラ社)をはじめ、『ちいちゃんのかげおくり』(作・あまんきみこ、あかね書房)、『ぼうしをとってちょうだいな』(作・松谷みよ子、偕成社)など多数の作品で絵を手がける。
なかえさん上野さんのホームページ http://www.nezumikun.com
▲デビュー作は日本でも『ぞうのボタン』(原案・なかえよしを、冨山房)として出版されました
※上野紀子さんは2019年2月28日にご逝去されました。故人のご功績を偲び、心からご冥福をお祈りいたします。
なかえさん(以下、敬称略) もともと僕は広告会社で仕事してたんです。ただ広告の仕事は、ディレクターやスポンサーからいろいろと要望があって、それに応じないといけない。だから、自分がいいと思う作品がなかなかできないんですよ。それで、会社勤めしながら、自費で絵本をつくったりしていたんです。
上野さん(以下、敬称略) 出版社から絵本を出すなんて、あの頃は考えもしなかったんですよね。
なかえ それが、1972年のことなんですけど、1カ月の有給休暇をとってニューヨークに行ったんですね。どうせ行くなら、出版社もいっぱいあることだし、絵本を売り込んでみようかと。
上野 そこで急きょ1週間くらいでつくったのが『ぞうのボタン』。それまで自費でつくった絵本を日本の出版社に見てもらったこともあったんですけど、あまり反応がよくなかったんです。でもニューヨークに行けばわかってくれるところもあるんじゃないかなんて安易に……。
なかえ 飛び込みでいろんな出版社をまわったんだけど、なかなかうまくいかなくてね。絵が多すぎるんじゃないか、文章もいらないんじゃないかって思って、ホテルに戻ってから数ページ抜いて、また持っていって。そしたらあるとき、「こういう作品ならここに持っていくといい」といって別の出版社と編集者を紹介してくれたんですよ。それで喜び勇んでその出版社に行ったら、あいにくその編集者はバカンスで留守だと言われてしまって。
代わりに別の編集者に読んでもらったんですが、その彼女、ケラケラ笑って部屋を出ていってしまったんですね。それで「またダメか」と帰り支度を始めたら、恰幅のいいおばさんが僕らの原稿をカーディガンの中に抱えて部屋に入ってきて「これ、買う、買う!」って。なんとその人が、バカンスに出かけていないはずの副社長だったんです。年間2万以上の売り込みがあるらしいんで、いちいち会っていられないということだったんでしょう。
上野 見てもらうだけでも、すごいことだったんですよ。
なかえ そのあとは早かったですね。僕らは1週間後に帰る予定だったんですが、翌日には契約書がホテルに送られてきて、帰るまでに校正刷りまで出てしまったんです。本のタイトルは最初「アニマルブック」だったのが、向こうで「エレファントボタン」はどうかと言われて、じゃあもうそれでお願いします、と。
上野 出版されるということがどういうことか、よくわからないままに進んでいきましたね。私たちはとにかく見てもらえればいいと思っていただけでした。
なかえ 帰国後はまた会社に戻ったんですが、また次の作品を送ってくるようにと手紙がきたんですね。それで、最初の作品がぞうからねずみまで小さくなっていくお話だったんで、今度はねずみからぞうならいいかな、と考えて、原稿をつくってたんです。それが縁あってポプラ社さんの目にとまって、『ねずみくんのチョッキ』が出版されたんですね。
▲自然光がまぶしいお二人のアトリエと、なかえさんが描かれたラフ
なかえ 『ねずみくんのチョッキ』が出版される前に会社を辞めて、またアメリカに行きました。今度は半年くらい。でも帰国したらなかなか仕事がなくてね。それでポプラ社に電話して帰国したことを伝えたら、「じゃあ次のつくってくれ」と言われて。
運も良かったんでしょうね。『ねずみくんのチョッキ』で講談社出版文化賞をいただいて、他の出版社からもいろいろと依頼がくるようになって……これならこの道でやっていけるかもと思って。あの頃はもう月1冊のペースで絵本をつくってました。
上野 それはもう大変で。ねずみくんを描いたかと思ったら、次は水彩、その次は油絵……という具合で、随分いろんな種類の絵を描きました。なかえの頭の中にイメージがしっかりあるので、私はそれにどれだけ応えられるか、壁にぶちあたりながらがんばっていました。
なかえ いつも僕がラフまで描いて、それを上野に渡して、絵を仕上げてもらうんです。ほかの人とやるよりラクチンですね。上野も描きやすいんじゃないかと思います。
上野 なかえとは自費出版の頃からもうずっと一緒にやってきたので、あまり仕事という感じがしないんです。いろんな絵を描いて疲れ果てたこともありましたけど、かえってすごく勉強させてもらったと思っています。
なかえ たとえば「ねずみくんが赤いチョッキを着てやってきました。そしてにこにこ笑いながらそのチョッキを自慢げに『おかあさんがあんでくれたチョッキだよ』と言いました」というのは、“赤いチョッキを着てやってきて、にこにこ笑っているねずみくん”は絵で描けばいいわけですから、文章にする必要はないんですよね。ですからねずみくんの文章は、シンプルに会話だけで表現してるんですよ。
文章をシンプルにする分、表情は細やかなところまでこだわります。ねずみくんに白目があるのも、表情を出すためなんですよ。白目がなくて目が黒い点だけですと表情が豊かになりにくいですから。
上野 笑うにしても、微笑んでいるのか大笑いしているのかで、かなり違いますよね。だからいつも、どの程度笑っているのか、どの程度驚いてるのかというのを、なかえから細かいところまで説明してもらうんです。ときにはなかえがモデルになってくれましてね。やっぱり実際に動いてもらったり、そういう表情をしてもらったりするのが一番わかりやすいですから。
▲ねずみくん絵本シリーズ第1作『ねずみくんのチョッキ』(ポプラ社)
なかえ ねみちゃんのことを好きなねずみくんが、ちょっと照れくさそうにするのとかも、文章で書きたくはないですよね。「照れました」なんて。だからそれを表情で出せたらいいなと思うんです。
上野 ねみちゃんは結構控えめなんで、大笑いさせると「ちょっと笑いすぎ」なんて言われて、描き直すこともありますよ。
なかえ シンプルにっていうのは文章のことだけじゃないんです。ねずみくんに関しては、背景や景色を描かないようにしてるんですよ。だから何もない舞台にねずみくんが立ってるみたいなもんですよね。省けるものは省くんです。
それから、ねずみくんの身長は決まってるんですよ。2cm6mm。まぁときどきちょっとだけ違うこともありますけど(笑)
上野 最初に描いたのがその大きさだったんですね。若い頃に描いたんで……なんでこんなちっちゃく描いちゃったのかしらって(笑)
なかえ どのページでも、ねずみくんの身長は変わらない。要するに、顔のアップは出てこないんです。だからこそ大きいぞうさんとの違いがよくわかるんですね。今後もねずみくんのシリーズは年に1回くらいのペースでつくっていく予定です。8月にはねずみくんのトランプが出るんで、今はその制作に取りかかっています。キングやクイーンになったねずみくんとねみちゃんが登場しますよ。
……なかえよしを先生・上野紀子先生のインタビューは後編へとまだまだ続きます。(【後編】はこちら→)