絵本作家インタビュー

vol.148 絵本作家 宮野聡子さん(前編)

絵本作家さんや絵本の専門家の方々に、絵本についての思いやこだわりを語っていただく「ミーテカフェインタビュー」。今回は、「宮野家のえほん」シリーズなど温かい理想の家族像を描き続けている絵本作家・宮野聡子さんにご登場いただきます。子どもの頃からの絵本好きで、子どもの本の専門店での勤務歴もある宮野さん。デビュー作や人気作の制作秘話などを、キャラクターと内装デザインを手がけられたイタリア料理店「プルーニャ」で伺いました。(【後編】はこちら→

絵本作家・宮野 聡子さん

宮野 聡子(みやの さとこ)

1976年、東京都生まれ。女子美術短大情報デザイン科卒業。子どもの本の専門店勤務時代に、『ももちゃんとおかあさん-宮野家のえほん』でデビュー。絵本作品に『宮野家のえほん たっくんのおてつだい』(以上アリス館)、『あいちゃんのワンピース』(作・こみやゆう)、『えんそく おにぎり』(以上講談社)、『パンツちゃんとはけたかな』(教育画劇)。紙芝居の作品も。
ちいさなえほんカフェ http://miyanosatoko.at.webry.info/

小学校2年生まで、毎晩、読み聞かせてもらった

宮野 聡子さん

子どもの頃は、破天荒というか、思ったことはとりあえず何でもやってみる子どもでした。4人兄弟の次女で、姉の陰に隠れて自由に行動していました。自転車の車輪がグルグル回るのが気になって足を突っ込んでみたり、花の種を鼻の穴に突っ込んで痛くて泣いてみたり……。両親は目が離せなかったんじゃないかと思います。

子どもの頃から絵本が大好きでした。自分で読んだことよりも、親に読み聞かせてもらった記憶の方が多いです。特に、寝る前の布団の中とか。父に「小学校2年生なのに、まだ読んでもらいたいの?」って言われたことを覚えていますから、その頃まで読み聞かせてもらっていたんですね。父も母も読んでくれまし。ただ父は毎日同じ本を読むとマンネリ化すると思うのか、少し話をアレンジしてくれたんですよ。それがまた面白くて。

お気に入りの絵本は『からすのパンやさん』『はじめてのおつかい』『ぜんべいじいさんのいちご』『ローノとやしがに』などで、よく「読んで!」とせがんだのを覚えています。

家にはたくさん絵本がありました。今では本棚3つ分くらいの絵本があります。近所に住んでいる甥が小学校低学年の頃は、本好きのお友達を連れてきて、一緒によく読んでいましたよ。まるで家庭文庫でしたね(笑)

「絵本作家」というものを初めて意識したのは、高校の進路相談の時です。先生に「何になりたいの?」と聞かれて、ごく自然に「絵本作家になりたい」と答えたんです。それまで意識したことはなかったんですが、絵を描いて、物語を書いてという仕事がしたいという気持ちが無意識であったんでしょうね。先生に、女子美術大学・短大が、なかやみわさんなどの多くの絵本作家を輩出していると薦められて進学しました。

在学中はコンペに出そうとしたり、母の知り合いの紹介で絵本作家さんに作品を見ていただいたりしました。絵本作家になるという夢で頭がいっぱいだったのですが、その作家の先生に「人生経験をもっとして、心の光と闇を描き分けられるようになってから絵本作家を目指しなさい」と言われ、ハッと、夢から目が覚めて(笑) 大慌てで就職活動を始めました。これがいい風に働いたと思います。私の描くテーマは、日常の何気ない幸せや楽しさ、うれしさが多いですが、これを描くためには、その逆の感情も知っていなければなりませんものね。先生には、今でもとても感謝をしているんです。

児童書店でのおはなし会 子どもの息遣いや反応を直に感じる幸福感

卒業して入ったデザイン会社には7年勤めました。その頃入ったばかりの後輩に「絵本好きなら、近くにいい絵本屋さんがある」と教えてもらったのが、「ちえの木の実」という子どもの本の専門店でした。ロングセラー絵本を中心に長く読み継がれる良作が揃っていて、ひと目で気に入って、その場で転職を決意してしまったんです。その日のうちに店で働きたいと伝えて、受かって、すぐにデザイン会社に退職届を出しました。

小さい頃と一緒で、思ったことはすぐ行動に移す。自分でもすごい行動力だったと思います(笑) 在勤中はとにかく絵本が楽しくて仕方がありませんでした。あらゆるジャンルの絵本や児童書を片っ端から読みあさり、作品からいろいろなものを得ました。

お店では定期的におはなし会をしていました。東京子ども図書館から出ている「おはなしのろうそく」を使って、自分たちで人形劇をつくったこともありました。割り箸にイラストをはって人形にして、舞台は紙芝居のセット。それがおおウケで! 毎回欠かさず来てくれる子もいて、楽しい時代でした。

このおはなし会、実は翻訳家のこみやゆうさんからアドバイスをもらって自分たちで手がけるようになったんです。最初は一般財団法人・出版文化産業振興財団(JPIC)の方にお願いしていました。当時出版社の方としてよく店にいらしていたこみやさんが「自分たちでやった方が、子どもたちの心に直接触れることができるし、絵本のよさも実感できる」と言ってくださったんです。

自分たちでやることで、今まで以上におはなし会に愛着がわくようになりましたし、何より子どもたちが楽しんでいる様子を手に取るように感じられるのが、何にも変えがたく幸せでしたね。身を乗り出しちゃう子もいて、子どもたちの興奮が伝わってきました。

児童書店で過ごした期間は、絵本制作をする中でも非常に大事な位置を占めています。私自身は子どもがいないので、子どもの息遣いや反応を直に感じることができた貴重な機会でしたし、子どもって本当に素直に自由に生きていて、愛おしい存在なんだと実感しました。

子どもが「こうありたい」と思う、お父さんお母さんを描き続けたい

デビュー作の『ももちゃんとおかあさん-宮野家のえほん』は、私が描いた店のポップを見て、こみやさんが「絵本を描いてみない?」と誘ってくださったことから始まりました。着想から完成までに3年! 一から教わりながらつくりました。絵本のプロフェッショナルにマンツーマンで教えてもらったんですから、それは贅沢だったと思います。

この話は主役の家族にたまたま私の苗字が使われているので、よく実話に基づいた話なのかと聞かれますが、違います。モデルは、児童書店によくいらしていたご家族。3人目のお子さんはいらっしゃらなかったのですが、おはなし会には家族全員でいらしてくださって、「温かい家族」という理想をそのまま実現されているような印象を受けました。モデルになった男の子は中学生になっていて、今でもおはなし会に来てくれるんだそうですよ!

私の絵本の中に登場するお母さんについて、「いつも理想的だね」とよく言われます。日々のことで忙しくてなかなか余裕がもてないというお母さんが大半だと思いますが、自営業の傍ら4人の子育てをしていたうちの母も、まさにそうでした。ただ、こみやさんが「絵本は理想でいい。それを見た子どもや親が、夢や希望として「いつかこうなれたらいいなぁ」と感じることが大切」とおっしゃっていて、私もすごくそれに共感しています。

現実にはね、理想的でなかったとしても、別にいいと思うんですよ。けれど、絵本の中で描かれる大人の姿は、「こうあってほしい」や「こうありたい」を実現させていたいです。絵本って、「願いが叶う場所」でもありますからね。

ももちゃんとおかあさん-宮野家のえほん

▲ももちゃんはおじいちゃんとおばあちゃんへの手紙を出しに、ひとりで商店街にあるポストまで出かけました。無事投函すると、目に入ったのはふわふわゆれる風船においしそうないちご。ちょっとだけ商店街に寄ってみることに……『ももちゃんとおかあさん-宮野家のえほん』(アリス館)

宮野家のえほん たっくんのおてつだい

▲たっくんとももちゃんの家には、もうすぐ赤ちゃんが生まれます。みんなでお母さんを手伝おう! たっくんは張り切りますが、失敗ばかり……『宮野家のえほん たっくんのおてつだい』(アリス館)


……宮野聡子さんのインタビューは後編へとまだまだ続きます。(【後編】はこちら→


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