絵本作家インタビュー

vol.131 絵本作家 市居みかさん(前編)

絵本作家さんや絵本の専門家の方々に、絵本についての思いやこだわりを語っていただく「ミーテカフェインタビュー」。今回ご登場いただくのは、ユーモラスで愛らしいキャラクターたちを生き生きと描く、市居みかさんです。絵本制作のほか、絵話塾講師、イラストレーター、画家、そしてウクレレによる自作の歌の弾き語りなど、多彩に、幅広く活動されている市居さん。3歳の息子さんを持つ、お母さん目線からの思いなどについても伺いました。
今回は【前編】をお届けします。(【後編】はこちら→

絵本作家・市居 みか

市居 みか(いちい みか)

1968年、兵庫県生まれ。神戸大学教育学部美術科卒業。大手電器メーカーにて企画、デザインに携わった後、イラストレーター、画家として活動をしながら、個展・グループ展を重ねる。2001年『ヘリオさんとふしぎななべ』(アリス館)で絵本作家デビュー。作品には『イモムシかいぎ』(小学館)、『ろうそくいっぽん』(小峰書店)、『ねこのピカリとまどのほし』(あかね書房)、『いっぽんみちをあるいていたら』(ひかりのくに)など。神戸にある「ギャラリーVie絵話塾」で絵本コースの講師も勤める。
ホームページ:http://www.geocities.jp/ichiipk/

「将来は絵描きになる!」夢を持ち続けて

小学校に入ったものの、なんか外界にうまく出て行けなくて、内気に過ごしていました。心の中ではいろんなお話を考えたり、大冒険をしたりしていたのですが(笑) 家でチラシの裏などを使って、豆絵本をたくさん作っていました。

2年生の図工の授業で、担任の先生が私の作品をすごくほめてくれたんです。うれしくて、家で作っていた豆絵本を先生に見せると、「上手やね~、おもしろいね~」(笑)…ほめ上手な先生でした。主人公は動物だったり、ろうそくだったり。

これがきっかけで、なにか自信がついたのか、学校でも大きな声でしゃべれるようになり、逆に先生に叱られるほどに。人生がものすごく楽しくなりました。とにかく絵を描くのとお話を考えるのが好きで、「将来は絵描きか作家になる」と、この頃から思い込んでいました。

特に印象に残っている絵本は『ゆかいなかえる』(福音館書店)です。4匹のカエルが遊んでいるだけの話なんですが、生き生きと描かれていて、本当に動いてるみたい。"水草と魚の卵のごはん"を食べるシーンでは、自分も食べたつもりになって、実際に味が感じられたほど!(笑) 小さい頃から本も絵本も大好きでした。

中学校では、バスケットボール部に所属。行事でクラスの旗を作る時なんかは、がぜん張り切る(笑) そして高校では剣道部へ。絵は好きでしたが、部活は体育会系でした。でも、今思うとあんまり性に合ってませんでした(笑) 先輩に何回も挨拶したり、運動中は水を飲まなかったり。ほんとはあほらしいなと思いながらやってました。

高校ではクラスに偶然、美術が好き、美大に行きたいという子が数人いて、そのメンバーで絵入りの交換日記をしていました。おもしろい絵を描く子、デッサンがすごくうまい子、映画監督なりたい子、いろいろいて、楽しかったです。

そして"将来、絵を描く人になりたい"という夢を叶えるため、教育大学の美術科へ入学。小学校の頃、私をうまく楽しくほめてくれた先生はずっと恩師だと思っていて、「先生って職業もいいな」と思っていたことも、教育大を選んだ理由でした。

大学卒業後は、大手の電器メーカーに入社。プロダクトデザインの部署で、美術館や博物館に、その館独自の展示のコンテンツを企画し、デザインをする仕事をしていました。昆虫博物館だったら、虫の名前を、見た目の特徴などから調べられるような端末を作ったり。

やりがいはあったけど、やっぱり絵を描きたかった。私の仕事はディレクションで、実際に絵を描いたりするのは、デザイン事務所の人たち。「あっちのほうが楽しそう~」とうらやましく思っていました(笑) とってもいい会社で、居心地もよかったんですが、「このまま、ここで働き続けていいのかな」と悩み…結局「なんとかなる!」で、次の仕事のあてもないまま辞めました。

まずは画家デビュー、きっかけは「フリーマーケット」

市居みかさん

東京の友人宅へ遊びに行った時。フリーマーケットで古着を売るというので、私もたまたま持っていた小さな木版画を何点か並べました。すると、お茶の水でお店を経営している方が「ウチで個展しませんか」と声をかけてくださったんです。「やります、やります!」…で大阪に戻り、出展のための作品を作りました。額装の知識もまったくないから「吊れへんのちゃう!?」というくらい重たーい鉄の額を作ったりして、ワケもわからないまま初個展(笑)

無名だし、ぜんぜん期待もしていなかったけれど、知らない人が私の作品を見に来てくれ、話しかけてくれ、買ってくれて。「すごい! 人に見てもらえるんだ!」と思ったらまた創作意欲もわいて。それまでは絵を描いても「ゴミをつくってるだけちゃうの」みたいな気持ちがどこかにあったんですが、「喜んでくれる人がいる!」と、この時、本当にびっくりしました。

「私、これやっててもいいんやなぁ。意味があるんやなぁ」と。これは本当にすごい体験でした。それからは、なんというか、作品がどんどんいろんなところへ連れて行ってくれるし、いろんな気の合う人に会わせてくれるし……。

なんだか今まで指向はあったけど、もやもやしていた人生が「ここへ行け!」と矢印を指し示してもらえたような感じ。人生には、何度かそういう時が誰しもあるんじゃないかなと思います。

会社を辞めると決めた頃、関西で医療関係の本を作っている小さな出版社の人と知り合いになり、幸いなことに表紙デザインやレイアウト、イラストの仕事の発注をいただくようになって、それらを手がけながら、東京での個展をきっかけに、関西でも個展を開くようになりました。

絵本作家デビュー、きっかけは「鍋パーティ」!?

ヘリオさんとふしぎななべ

▲絵描きのヘリオさんが買った、古い「穴あきなべの絵」には不思議な力がありました。夜中に物音で目覚めたヘリオさんが見たものは…?『ヘリオさんとふしぎななべ』(アリス館)

2001年出版の『ヘリオさんとふしぎななべ』が絵本作家としてのデビュー作品です。

関西在住の絵本作家さんは少なくて、出会いがあまりないんですが、西村繁男さん・いまきみちさん夫妻とグループ展をする機会に恵まれました。お二人のお仕事を見せてもらい、いろいろお話しすることで、「やっぱり絵本っていいなぁ」と改めて思いました。

イラストの仕事は、やっぱり賞味期限が短くて、使い捨てという感じの仕事が多い。絵本は、じっくりつくって、よいものをつくれば長く人に愛してもらえる。私が子どもの時に読んでいた絵本が今も現役で今の子どもたちも見ている。ま、そういう絵本を出版するのは、難しいということは今となってはよくわかりますが。

でも、そういうじっくり取り組む仕事の仕方が本当に素晴らしいなと思いました。そして、お二人の娘さん・にしむらあつこさんとも仲良くなり、田中清代さんと3人で、「三人展」を開くことになりました。

「オムニバス絵本を手づくりしよう!」と、にしむらさんの家でお鍋をつつきながら盛り上がり、そこで「話にはこの黒い『なべ』を登場させよう!」と決まりました(笑) その時に描いた物語が、『ヘリオさんとふしぎななべ』の前身です。展覧会に来られたアリス館の編集の方が「おもしろいから絵本にしませんか」と言ってくださり、話をふくらませて、できあがったのがこの絵本です。

こうして『ヘリオさんとふしぎななべ』が世に出て、それを見たほかの編集者さんがまた声をかけてくださり…といった感じで、どんどんお仕事につながっていきました。


……市居みかさんのインタビューは後編へとまだまだ続きます。(【後編】はこちら→


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