絵本作家インタビュー

vol.115 絵本作家 松成真理子さん(前編)

絵本作家さんや絵本の専門家の方々に、絵本についての思いやこだわりを語っていただく「ミーテカフェインタビュー」。今回は、『まいごのどんぐり』や『じいじのさくら山』などでおなじみの絵本作家・松成真理子さんにご登場いただきます。子どもならではの心情を生き生きと描いたお話や、あたたかくやさしい色彩の絵は、どのようにして生まれるのでしょうか? サトシンさんとの新作『おかあさんだもの』の制作エピソードや、絵本を通じて伝えたい思いなども伺いました。
今回は【前編】をお届けします。(【後編】はこちら→

絵本作家・松成真理子さん

松成 真理子(まつなり まりこ)

1959年、大分県生まれ、大阪育ち。京都芸術短期大学(現・京都造形芸術大学)卒業。イラストレーター、絵本作家。『まいごのどんぐり』(童心社)で第32回児童文芸新人賞、紙芝居『うぐいすのホー』(童心社)で第43回五山賞奨励賞受賞。主な絵本に『じいじのさくら山』『ふでばこのなかのキルル』(白泉社)、『ぼくのくつ』『せいちゃん』(いずれもひさかたチャイルド)、『ころんちゃん』(アリス館)、『こいぬのこん』『いまなんじ?』(学研)、『たなばたまつり』『はるねこ』(いずれも講談社)などがある。

絵本なら、もっと自由に表現できる

絵本作家・松成真理子さん

絵本の仕事を始めるまでは、イラストレーターとして広告や雑誌の挿絵の仕事などを10年ほどしていたんです。子どもの頃から絵を描くのが好きで、得意なことがそれだけだったので、絵を仕事にするというのは自然な流れでした。ただイラストレーター時代は、今の絵本の画風とはまったく違った、小さくて繊細な水彩画ばかり描いていて…… 一生こういうのばっかり描いていくのかなと思ったら、ちょっとしんどくなってきたんですよね。

絵を描くこと自体が好きなので、それで満足できるはずでした。でも求められるのは、やさしくて明るくて、繊細な絵ばかり。依頼があっての仕事なので仕方ないんですけど、本当はときには正反対のものを描きたくなるし、日本風のものも西洋風のものも描きたい。どっちもしたいんですよね。だから、だんだん自分と絵が離れてきてしまっているように感じていました。

そんな風にイラストレーターとして行き詰まりを感じていた頃、月刊MOEで仕事をさせてもらったのを機に、絵本をいろいろと見るようになったんですね。そうしたらすっごくおもしろくて。それまで知らなかった絵本の世界に一気に惹き込まれました。そして絵本なら、もっと自由に描きたいものを表現できるんじゃないかと思うようになったんです。

とはいえ、描いてみたいという気持ちだけでできるような簡単なことではないので、それからもしばらくはそれまで通り仕事を続けていたんですけどね。「いつか絵本をやりたい」とばかり言っていたら、友達から「いいかげん実行に移したら? いつかいつかってずっとそればっかりで、もう聞き飽きた」とはっぱをかけられて…… 本気でやってみようと決意したのは、そのときのことです。

デビュー作『まいごのどんぐり』が生まれるまで

まいごのどんぐり

▲第32回児童文芸新人賞を受賞した松成真理子さんのデビュー作『まいごのどんぐり』(童心社)

本気で絵本に挑戦してみようと決めてから最初にしたのが、個展を開くことでした。絵本を一冊つくって、その絵を展示することにしたんです。

お話をつくるのは初めてだったので大変だったんですけど、個展の日にちが決まってしまっていたので、追い込まれながらなんとかつくりあげました。それがデビュー作『まいごのどんぐり』のもとになった絵本です。

編集者さんが個展を見て「絵本にしましょう」と言ってくれたときは、もうそのまま絵本になるのかなと思ってたんですけど、実際はそんなことはなくて…… 大きさもタイトルも変えることになったし、ほかにもあれこれ言われて、結局絵はすべて描き直し。絵本をつくるってこんなに大変なのかって驚きました。

主人公の名前も変えたんです。もともとは「いちぞうくん」という、ものすごく元気な男の子だったんですけど、編集者さんから「いちぞうくんはやめてください」と言われて。「こうくん」という名前にしたら、もうちょっとおとなしい男の子になりました。どんぐりの投げ方だって、名前を変えるだけで違ってくるんですよね。最終的には全然違う雰囲気の絵本ができあがりました。

私自身、小さい頃にはよくどんぐりを際限なく拾い集めてたんですけど、この絵本を描いていた当時幼稚園児だった甥っ子も、どんぐりを拾うのが好きだったんですね。それで、「どんぐりの絵本を描くくらいだから、まりちゃんもどんぐりが好きに違いない」と思ったみたいで、「まりちゃんにあげる」って、どんぐりをたくさんプレゼントしてくれたんですよ。かわいいですね(笑)

自分の子ども時代の記憶だけを頼りにお話をつくるとなると、わからないこともいろいろあっただろうなと思うんです。子どもを客観的に見ることができたのは、甥っ子や姪っ子たちがいてくれたおかげです。

お話をつくるときは、思いついたことをノートに書く

じいじのさくら山

▲名もないさくら山をつくったじいじとその孫の心あたたまる絵本『じいじのさくら山』(白泉社)

眠っている間に夢でお話を思いついたりして、なんとか起き上がってメモしておくこともあるんですけど、そういうのってほとんど役に立たないんですよね。そのときは傑作だ!みたいに思ってるんですけど、翌日になって見てみると、これじゃ無理だなって(苦笑) だから、お話をつくるときはたいてい、机の上にノートを広げて、必死に考えるようにしています。

ノートに書き込むのは、絵だったり言葉だったり…… とにかく思いついたことは何でも書きます。いろいろと書いているうちに、普段の暮らしの中で蓄積されて下の方に沈んでいた何かが、浮き上がってくるんですね。もちろん、書き込んだものの中には全然使わないものもたくさんあるんですけど、そういうことをしているうちにアイデアが浮かんできて、お話ができあっていきます。

ただ、そもそも自分の中に蓄積されたものがないと何も出てはこないので、興味を覚えたらどんなことでも見たり聞いたり感じたりするようにしています。

ずっと机に向かっていても、何も出てこない日もあります。ああ、今日も一日何も出てこなかった、もう一生出ない気がする……とあきらめたくなることもあるんです。それでも、ずっと書き続けないとだめなんですよね。しんどくてしんどくて、もういやだって思いながらもあきらめないでがんばっていると、何かしらきっかけが降りてくるので…… そういうしんどい時間というのも、私には必要なんだと思います。でもなんだか、絵本の神様か何かに鍛えられているような感じ。もう少し早く降りてきてくれたらいいのにって思うんですけどね(苦笑)


……松成真理子さんのインタビューは後編へとまだまだ続きます。(【後編】はこちら→


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